体のゴミが病を引起す
レイチェル・カーソン『沈黙の春』より
畑、森林、庭園にまきちらされた化学薬品は、放射能と同じようにいつまでも消え去らず、やがて生物の体内に入って、中毒と死の連鎖を引起してゆく。(中略)時間をかければ、また適合できるようになるかもしれない。だが、時の流れは、人の力で左右できない、自然のあゆみそのものなのだ。
一度、土に捨てられたゴミ(化学物質)は分解されず、いつまでも残る。それは、ゴミを拾っているとよくわかることだ。誰かが拾ってくれるまで待っている。現代の紙や木製の道具でもそうである。加工が施されているために化学物質が使用されている。だから有機物とは違い、いつまでも分解されずにその場に残る、もしくは土の中に埋まっていく。そして、そのゴミが周囲の生命になんらかの影響を与えているかもしれない。
体のゴミが病を作る
人間の体に入ったゴミ(化学物質)もそうである。一度、体内に入った物は、便や尿で排泄されない限りは、体内にいつまでも分解されずに残る。 ぼくは、その“体内のゴミ”が病の原因であると考えている。
体内の毒素‐ゴミを外に排出するのが病であると思うのだが、その毒素を作る原因には、人間の憎しみや妬み、悲嘆などの“マイナスに働く心”、睡眠不足や不規則、運動不足などの“不自然な生活習慣”、その土地で取れない物を食べるなどの“不自然な食習慣”、先天的にもつ“遺伝的な毒素”、そして排気ガス、農薬、殺虫剤、プラスティックなど様々な“化学物質”等があると思う。
自然が汚れれば人間も汚れる
レイチェル・カーソンの言葉にもあるように、自然が汚れれば生命‐人間は汚れる。
また、人間が汚れれば自然も汚れる。
たとえば、豚などの家畜の飼料に使用された抗生物質が糞尿となって、川や土を汚すという報告がなされていたが、家畜以上にさまざまな化学物質を体内に取り込んでいる人間の排泄物が自然を汚さないわけがないだろう。
客観的に見れば「人間は自然の一部である。だから、自然が汚れれば人間も汚れる。人間が汚れれば自然も汚れる。」は、ごくあたりまえの真理であろう。
ゴミを拾うことで病を癒せないか?
この間、鍵山秀三郎さんの講演会に行った。鍵山さんは「日本を美しくする会」を提唱し、日々の掃除実践をはじめとして、ブラジルや中国などでのトイレ掃除など行い、日本全国そして世界にその輪が広がりつつある。その実践がなされた地域では、青少年の心の荒廃が改善されるなどの成果が出てきている。
ぼくは、思う。とても迂遠のようだが、次々に現れる現代人の病を根本から治すには、まずはゴミを拾うことからはじめることではないかと。
人間の体内のゴミはなかなか見つけることはできないし、すぐに取り除くことは難しい。ならば、目に見える人間の外のゴミから排除することだ。そうすれば、きっと人類の体の中もきれいになる日がくるに違いない。あくまでも「人間は自然の一部」なのであるから。 (END)
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