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June 27, 2005

天命と病―日本人としての使命


やはり、健康というものが
病気でないということならば、
人生の目的にはなりえない。
五木寛之氏は「人生には目的はない」と書かれているが、
僕は、どんな人にもその人、
固有の使命があると信じている。

尊敬する哲学者であり教育者の森信三先生は
その著書『修身教授録』でこう述べられている。

「国民の一人びとりが、深く自分の属する
国家民族の使命を自覚して、
自分の個人的な使命を、常に国家民族の大使命に対して、
独自の角度からこれを分担することができたならば、
その時個人も
また真に生きる大道が開かれるわけであります。
 したがって問題は、結局、
個人としては国家民族の使命に対して、
自分は『いかなる角度』から分担するかを、
自覚することに外ならぬと
言えましょう。
 といことは、すなわち自分が
生涯をかけて果たすべきものが、
国家民族の大使命に対して、
一体いかなる位置を占め、
いかなる方向から
これを分担するかという点に関して、
常に明確な自覚を持つことが必要でありましょう。
 したがってこのような自覚が
明確であればあるほど、その人の生涯は、
歴史という民族生命の大流に
合流するわけであって、それはまた、
大いなる織物における一つの緯のように、
織り込まれることともなるわけです」

そして、森先生は『一日一語』において
こう書かれている。

「日本民族の使命は将来の東西文化の融合に対して、
いわばその縮図的原型を提供する処にあるであろう」

前掲の文章と組み合わせれば、
つまり、将来の東西文化の融合に対して、
「いかなる角度から分担するか」
それが、日本人として生まれた
その人固有の使命ということになろう。

「病」というものは、
その「いかなる角度から」を定める上において、
定規的な役割を果たしてくれる。

最後に森信三先生の2つの言葉を掲げておきたい。

「われわれ人間というものは、
すべて自分に対して
必然的に与えられた事柄については、
そこに好悪の感情を交えないで、
素直にこれを受け入れるところに、
心の根本的態度が確立すると思うのであります。
否、われわれは、かく自己に対して
必然的に与えられた事柄については、
ひとり好悪の感情をもって対しないのみか、
さらに一歩をすすめて、
これを『天命』として謹んでお受けするということが
大切だと思うのです。
同時に、かくして初めてわれわれは、
真に絶対的態度に立つことができると思うのです」
                 (『修身教授録』より)


「絶対不可避なる事は即絶対必然にして
これ『天意』と心得べし」
                 (『一日一語』)


絶対不可避なるものを受け入れるという「諦念」、
それは決して消極的な生き方ではなく、
むしろ使命に生きるという意味で
非常に肯定的・積極的な生き方なのだ。

                                                                                                                                                                                                          

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Comments

[すなわち自分が
生涯をかけて果たすべきものが、
国家民族の大使命に対して、
一体いかなる位置を占め、
いかなる方向から
これを分担するかという点に関して、
常に明確な自覚を持つことが必要でありましょう。
 したがってこのような自覚が
明確であればあるほど、その人の生涯は、
歴史という民族生命の大流に
合流するわけであって、それはまた、
大いなる織物における一つの緯のように、
織り込まれることともなるわけです」]

素晴らしいことばですね。
モモタロウさんが尊敬してやまない森信三先生は、本当に素晴らしい方ですね。

今日は久し振りにお訪ねして、いいものにめぐり合いました。有難うございます。

Posted by: raku-sa / SAWA | July 02, 2005 at 02:21 AM

raku-sa / SAWAさん
こちらにまでご訪問をいただき有難うございます。
 森先生は「使命の道」という講義で、「教育の意義は、立志の一事に極まる」とおっしゃり、「一人の農夫、一人の職工に至るまでが、それぞれ民族の使命を自覚して、自分のなすところが、いかなる意味において、国家の大使命に貢献し得るかを自覚するに至ってその国家は、初めて真正な国家となると言えましょう」と語り、記事で引用させていただいた部分に入ります。
 記事に書くことで、あらためて日本民族と自らの使命を見つめました。

Posted by: モモタロウ | July 02, 2005 at 08:14 PM

「教育の意義は、立志の一事に極まる」とおっしゃり、「一人の農夫、一人の職工に至るまでが、それぞれ民族の使命を自覚して、自分のなすところが、いかなる意味において、国家の大使命に貢献し得るかを自覚するに至ってその国家は、初めて真正な国家となると言えましょう」
・・・・・・・・・・・・・・・

「教育の意義は、立志の一事に極まる」森先生のこの言葉の重さをしみじみと感じます。
現代を見詰めた時、なすべきことをなさなかったことが、今の日本を作り、そして「真正な国家」足らざるを得ない、情けない世の中にしてしまったのですね。
私は常々、未来に向けて一番大事なことは「教育」だと言ってきました。本当に今の日本を、日本を動かしている仕組みを、人たちを
何とかしたいですね。無力を感じますが、何とかならないものでしょうか。口惜しいかぎりです。

Posted by: raku-sa/sawa | July 05, 2005 at 01:55 AM

raku-sa/sawaさん
常々ご自分の生徒さんや世間に訴えられ、そして実践されてされて来られた方の“嘆き”だけに、千金の重みがあります。
 ある人が私に直接言ってくれたことなのですが(その方も人生をかけて自分の分野でこの日本がよくなるために行動をされている方です)、政治家を動かそうとしても変わるはずがない。それよりも一般の方に変わってもらうよう地道に訴えかけていくしかないと(その人の対象は主に子どもをもつ母親や父親なのですが)。
 そう言われたときに、私も私のテーマでその方向で日本と世界のためにやりたいと思いました。
 私は今、訴えかけても説得力がなく、もっと勉強と実践を積み重ねていかねばならないことを痛感しておりますが、同時にたとえどんなに力が小さくとも訴えかけていくということも現段階でも行っていくべきではないかそう自問自答しております。
 このブログもその1つになるのですが、今後の活動(仕事・経済活動)でもどうやってその方向につなげていくかを思案しているところです。

Posted by: モモタロウ | July 05, 2005 at 08:55 PM

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