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June 26, 2005

決断(再び薬を断つ)

2001年11月よりおよそ三年半、薬を使用せずにきた。
そして、最近は少しずつであるものの確実によくなってきた。
にもかかわらず、先月より、気管支拡張剤や吸入ステロイドなどの
薬を使用し始めたのは、他でもない。
経済的理由のためだった。
特に、春と秋、まだまだ強めの発作が続けざまに起きる。
自然治癒力をベースに治療を行っている限り、
完全治癒までには時間がかかる。
夏と冬のみ、都合よく、働ける仕事なんてそうあるものではない。

しかし、妻と相談の上、今月より再び、薬をやめることにした。
なぜなら、僕の病は喘息だけではない。
多発性嚢胞腎という難病を腎臓と肝臓に抱えている。
そして、医師からはあと十年後、すくなくともいつかは必ず
人工透析になると言われている。
つまり現代の医学では治すことができず、
透析になるのもやむをえないというスタンスである。

僕自身はあきらめていない。
あくまでもそれは西洋医学の見解であるに過ぎないからだ。
ゆえに、たとえ、医師から気管支に直接吸い込む吸入ステロイドなら
腎臓と肝臓に与える影響は少ないのではないかと
言われても、多発性嚢胞腎の進行が進む原因となるような可能性が
少しでもあるなら避けたい。
医師が吸入であるから、一回に使用するステロイドの量は
ごく微量だから大丈夫といわれても
まずは自分の心に忠実でありたい。
毎日、二回も三回も使用していたなら、
たとえ一回の量が微量であろうとも蓄積されていくだろう。
その不安を抱えて生きるのはいやだ。

そして
もう一つの理由、今ではそちらの方が重みを増しているのだが、
喘息と薬を介在せずに向き合う、
苦痛を真正面から受けとめることは、
自分を深め、気づきを与えられるにはとてもいいことである、
むしろ。
私が追求したい仕事にとっては、
実に有り難いと感謝すべきことなのである。
そこに気づいた。

ここで残ったのは
経済的問題である。
春と秋に働けないなら、
夏と冬だけでも一年間分の生活費を稼げる
そういう仕事をつくる。
もっと、徹底して
その方向でやれることを探す、創造する、
そうするしかない。

とにかく、
食事など自分を取り巻く環境を整えながら、
可能なところまで精一杯やってみる。
その方向で行くことに腹を据えた。

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Comments

病気のことを真正面から受け止め、見えない未来へ向かって方針を定めていくことはとても勇気がいることですよね。とくに西洋医学に信用がおけない現状では、自分の決断がとても重くのしかかってきます。でもそのとき、傍らで同じ視線でいてくれる人がいることは、医師を持つより、薬を飲むより確実に健康へ向かうサポートだと思います。
わたしは去年の暮れ、ショック状態に陥り、危篤になりました。そのとき、大量にステロイドを入れました。本人の意思確認が間に合う状態ではありませんでした。いま、少しずつ量を減らすために努力して、やっと当時の7分の1ほどの量まで減らすことができています。
でも、医師にとっては薬を増やすことは即決しても、減らすことは患者が言い出さない限り、行わないということを身にしみて感じています。そんなとき、自分の意思を通して行動にうつすためにはやはり家族のサポートは必要です。
でもわたしも薬を使わない生き方を真剣に考えたのは、この経験があってからでした。まだまだ試行錯誤が続くと思いますが、それがわたしを心身魂ともに強くしてくれるのだと思います。
モモタロウさんの決断も、ご本人の健康を取り戻すだけでなく、きっとこのブログを見ている方、周りにいらっしゃる方の指針に繋がると思います。心から応援しています。

Posted by: ぢゅん | June 27, 2005 02:52 PM

ぢゅんさん
いつも深く力強いコメントありがとうございます。

[わたしは去年の暮れ、ショック状態に陥り、危篤になりました。そのとき、大量にステロイドを入れました。本人の意思確認が間に合う状態ではありませんでした。]

そうだったのですね。大変でしたね。だからこそ、記事やコメントに重みがあるのですね。

[そんなとき、自分の意思を通して行動にうつすためにはやはり家族のサポートは必要です。]

その点で私も家族に感謝しております。妻の協力なくして、収入をたってまで薬をやめて自分の納得するやり方を行うことはできませんでした(しかも彼女は薬剤師さんですしねぇ。よくぞ、という感じです)

[いま、少しずつ量を減らすために努力して、やっと当時の7分の1ほどの量まで減らすことができています。]

大変なご苦労をされているのですね。

私より、何年もお若いようですが、厚みを感じさせる生き方というのは、やはりそうした病を受け入れて生きる姿勢にあると拝察しております。
人と違った苦労をさせられるということは反面、人と違った使命があることだと思います。
その意味で私の今、あらためて意識した方向と同じであり、これでいいのだという確信につながります。

[きっとこのブログを見ている方、周りにいらっしゃる方の指針に繋がると思います。]

これはまったく同じことがぢゅんさんに対してもいえるでしょう。
お互いに励ましあいながら、自らの持ち場で、一隅を照らしていくことを目指しましょう。

Posted by: モモタロウ | June 27, 2005 09:13 PM

モモタロウさん、こんにちは。
時間があるときに、モモタロウさんのブログを最初の頃から読ませてもらってます。
この記事にトラックバックすることを試みたのですが、上手くいかないなぁ、表示されるまで時間がかかるのかな。

吸入ステロイドについて思うことを、私もブログに書いています。
2006年、3月7日の記事です。
お時間のあるときに、よかったら覗いてみて下さいね。


喘息で薬から離脱できた人がいるなんて、驚きました。
それは可能なことなのですね。
アトピーにおけるステロイド離脱に関してはかなりの経験と情報をもっていますので、人にアドバイスすることもできるのですが、喘息となると、呼吸=生命に直結していることなので、安易に「薬を中止しましょう」なんて言えませんでした。また、それを実践して薬なしの生活を手にした人にも出会えずじまいで今まで来ました。
だからモモタロウさんと知り合えたこと、とても嬉しいし、意義のあることだと思っています。

モモタロウさんの場合は、30年間という長い時間薬を使ってきたんですよね、その薬を中止した場合、発作時はひたすら耐えるのでしょうか。耐えきれるものなのでしょうか・・・。まさに命懸けなのでしょうね。体重の低下がそれを物語ってますね。

今後も少しずつですが読ませて頂きますね。


Posted by: めりはり | September 10, 2006 01:29 PM

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