« “いのち(生命)”の“意味” | Main | アカマツの怒り »

July 06, 2005

魂の深奥から湧き出づる力のみを頼みに生きる

060hakone_hoka_010


“志”を高く大きくもてばもつほど
大きく厳しい困難を与えられる。

その困難を前にして、
ともすれば気持ちは萎え、
知らず知らずに
何者かに頼りたいという弱い心が生じる。

そんなとき、己に喝を入れてくれるのが
『言志録』百十九条のこの言葉である。


士は当に己れに在る者を恃むべし。
動天驚地極大の事業も、
亦都べて一己より締造す。

(およそ、大丈夫たるものは、
自分自身にある者をたのむべきで、
他人の智慧や財力、
権力などをたのみにしてはなにができようか。
天を動かし、地を驚かすような大事業も、
すべて、己一個より造り出されるものである)
                     川上正光訳


己れに在る「もの」とは
決して「物」ではなく
「者」でなくてはならぬ。

人の心の奥には神がいる。
どうしてもその魂の深奥から
湧き出づる力のみを頼りに生きたい。
ぜひそうさせて頂きたい。
祈らずにはおれない。

※写真は先月、箱根・強羅公園にて撮影。

※『言志録』とは、
 江戸時代後期の儒者佐藤一斎が
 書かれた『言志四録』の第一巻。
 西郷南洲も座右の書とした。

            
             by モモタロウ(写真/文)


|

« “いのち(生命)”の“意味” | Main | アカマツの怒り »

Comments

わかります!困難は乗り越えてから初めて自分の力になるのであって、真っ只中にいるときは何かにすがりたくなるほど、自分の無力さに唖然としてしまいます。
だからこそ、一度でも困難を乗り越えた記憶があれば、自分の中の『神(力)』に気付けると思うのです。
最近『信じるものは救われる』のではなく、『信じぬくものは救われる』のだと思いました。自分のことをどれだけ信じぬけるか、それが何事も学びに変えてくれる力なのだと思っています。

Posted by: ぢゅん | July 06, 2005 at 10:46 PM

たましいが、震えました。
どうしてもその魂の深奥から湧きいずる力のみをたよりに生きたい・・・
モモタロウさん、
私も、かたちはちがうかもしれないけれど
そうです。
なんだか、涙がでました。。。
  ありがとう。。。

Posted by: てぃだ | July 07, 2005 at 01:59 AM

こんにちは。

モモタロウさん、今日の日記も非常に強いメッセージですね。

いつもいつもご自分を叱咤激励され、これでもかこれでもか・・とその真摯な生き方に頭が下がります。

きっと、神様のお使いとしてこの世に降りて来られた方なのだ、と私はいつも思います。
ご自分のお身体のことも省みず、唯ひたむきに真実を、人間の生き方を追求されて・・

モモタロウさんに与えられたその使命を、きっとご自分でも感じていらっしゃるのでしょうね。

「天を動かし、地を驚かすような大事業も、
すべて、己一個より造り出されるものである」

この言葉にすべてが集約されているような気がします。どんなことにも、あきらめず、投げ出さず、ささやかな「さざなみ」からでも社会を変えていく大きなうねりにも変化していくことを、私は信じています。

これからも、よろしくお願いします。
またご教示ください。

Posted by: raku-sa/SAWA | July 07, 2005 at 04:19 PM

ぢゅんさん
いつもありがとうございます。

[だからこそ、一度でも困難を乗り越えた記憶があれば、自分の中の『神(力)』に気付けると思うのです。]

いろいろ苦労をされているぢゅんさんだからこその言葉ですね。

[最近『信じるものは救われる』のではなく、『信じぬくものは救われる』のだと思いました。]

『信じぬくものは救われる』。この言葉、すばらしいですね。

かつて“信仰するものは信仰せぬものの何倍もの力が出る”といった言葉を読みましたが(今、さがしております)、何も特定の宗教が対象じゃなくとも、何かを信じるということに対して言っていたのだと思います。
無理やり、健康に話を戻しますと、自分にある自然治癒力もまずは「信じぬく」ことだと思います。


Posted by: モモタロウ | July 08, 2005 at 07:52 PM

てぃだ さん
まったく意識していなかったのですが、この記事、てぃだ さんが近ごろ体験したことと、つながりますね。不思議ですね。しかも、てぃだ さんがタイミングよく読んでくれるなんて。

やはり、人間の心はお互いに、奥のところでつながってるようですね。

Posted by: モモタロウ | July 08, 2005 at 10:06 PM

raku-sa/SAWA さん
いつもありがとうございます。
昔の人は、志を詩や文にしてうたいあげたそうですが、私にとって今、ブログとはそういうものでもあるようです。誰にも見られない紙に書くよりも、誰かに読んでいただくという前提で書くことによって、より強く自分に刻みつけることができているような気がします。しかもraku-sa/SAWA さんのような方に読んでいただくと非常に励まされます。自分の真の姿へと彫り上げられているような気がします。

いつもraku-sa/SAWA さんの直観力に敬服させていただいております。芸術家であられるせいでしょうか、また、生徒さん(お弟子さん)たちを誠をこめて育てられてきたせいでしょうか、その人の長所を見極めて引き上げる力の凄さを感じます。
今回のコメントにしても、私は、すべての人は神や仏と呼ばれる絶対者の使いだと思いますが、自分自身とりわけ強くそうありたいと願ってきました(宗教の存在を知る以前より)。他の取り柄はなくとも、多くの方より少しは強く願っているという自負だけでやってきたようなものです。そこを見ていただき、驚くとともに、心より感謝しております。
(嬉しくなってこんなに長くなってしまいました。失礼しました)

raku-sa/SAWA さんこそ、私が申し上げるのも失礼かもしれませんが、今の時代、日本にとって世の中にとってとても大切な方だと思います。これからいっそう、ご活躍されるのだろうと思います。

私もraku-sa/SAWA さんを見習い、高い志をもちつつ、まずは自分の持ち場で少しでも周囲を照らせるよう努めていこうと思います。

またブログの方、訪問させていただきます。よろしくお願い致します。

Posted by: モモタロウ | July 08, 2005 at 10:58 PM

久し振りにお訪ねしてみましたら、こんなにも有難い過分のお言葉を戴き、本当に嬉しく感謝申し上げます。

モモタロウさんは、ご自分の強い意志をお持ちでいながらも、他を受容する温かさをお持ちです。
自然を愛し、動物を愛し、子供を愛し、そして、人間そのもの全てに強い愛情を持って見詰めていらっしゃいますね。
時には厳しいお言葉を出されるのも、それは愛ゆえの鞭なのだ、と私はいつも感じます。

ブログがなければ、叶うことのなかったこの出会いに私は感謝しています。
本当に学ぶことの多い、モモタロウさんの誠実な文章に惹かれます。
崇高なお人柄に包まれて、こんな私でも少しは成長できるような気がしてくるのです。

有難うございます。些かオーバーワークで、消沈しておりましたが、勇気が湧いてきたように思います。ももたろうさん、有難うございました。
暑くなってまいりました。
お身体にはくれぐれもお大事になさってください。

Posted by: raku-sa/SAWA | July 12, 2005 at 12:20 AM

raku-sa/SAWA さん
それこそ、過分なお言葉に恐縮の至りです。
崇高でもなんでもなく、欲望の塊、欠点だらけの私です。
できるだけ正直でいたいとは思ってますが、ブログではわざわざ欠点を見せませんし(隠そうともあまりしていませんが)、狭量で、冷たいところもあり、ケチで自分勝手なところも多分にある自分です。ただ、それを見つめつつ、少しでも成長したいとは思っていますが…。

[ブログがなければ、叶うことのなかったこの出会いに私は感謝しています。]
私も心より感謝します。
初めにむしろお会いして話すよりも、よりストレートにその人格に触れることができるという面がブログというメディアにはあるような気がします。姿形が見えるとそれにとらわれてしまうところが私の中にたぶんにありますが、自宅のパソコンで落ち着いた気分で接するからこそいいのかもしれません。
前のコメントでも申し上げましたが、私は、raku-sa/SAWA さんより非常に学ばせていただくと同時に刺激も受けています。このご縁によって、自分が彫られているような気がしています。感謝しております。

 

Posted by: モモタロウ | July 14, 2005 at 08:57 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« “いのち(生命)”の“意味” | Main | アカマツの怒り »