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August 24, 2005

妹の夫38才が今朝、死にました

私の妹(37才)の夫(38才)が

今朝8時頃、心筋梗塞のため急死しました。

中1の娘と小5の息子を残しての死です。

私はその妹と、2人兄妹。

父と母はもう亡くなっていますので

なんとか私が支えなければならないのでしょうが

うちも今、経済的にかなり厳しい状況です。

せめて、父と母のかわりに、心の支えになりたい…。


今日は、家で亡くなったために、警察署での検死があり、

その時間にかなり取られました。


中1の娘もそうですが、

とくに、小5の息子はお父さんと毎週、

草野球チームで野球をするなど、

お父さん子でした。

今日は、ずっと泣いていました…。

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August 23, 2005

男子は自然のコンセントが必要!

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樹木の専門家を取材しました。

女の子はからだの中に自然のサイクルがあるんだって。

でも、男の子は小さいときに自然にふれて、
コンセントをさしこんでおかなきゃ、
頭の中の世界にどんどん入り込んじゃうらしい。

そういやあ、ついせんだって逮捕された男も
17才の犯罪だったなあ。


  ※詳しくは、来月発行される日本ホリスティック医学協会刊
   「ホリスティックマガジン」をご覧下さい。
   この雑誌は、会員でなくとも
   購入できます。
   日本ホリスティック医学協会
   http://www.holistic-medicine.or.jp/

   

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二度と来ない夏

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セミがないている…

夏は、また来年もやってくるが、

今年の夏は、もうニ度とこない。

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お花をいけちゃった!

子どもたちのお花教室(華道山月)がありました。
お友だちが、写真をメールで送ってくれました。

まずは、その娘ユウカちゃん(3才)の作品。

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大きな葉っぱはお花の傘。
「雨が降るからかぶせてあげた。」そうです。
発想がユニーク!

続いて、うちの娘モモナ
(5才。最近、このネームをいやがるのですが・・・)
テーマはないそうです。

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続いて、息子モモイチロウ(3才)。

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3人ともけっこうきれいにできてるでしょう・・・
(親バカだと言われそうですが)

よく子どもの絵は純粋に自分を表現するから
素晴らしいといいますが、
花を活けるとどうなんでしょうね。

なんにしても、自然(植物)に触れさせるのは
いいことだと思ってます。


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August 18, 2005

強気になれば病気は勝手に治っちゃう

『言志録』のような古典も最初はとっつきにくいのだけれど、じっくり読むと、汲めども尽きない井戸のように、読むたびに色んな学びがある。かといって、会話調でやさしく、とっつきやすく書かれた現代の本も古典に負けないほどに、さまざまな学びができるものがある。その1つが、斉藤一人氏の本(自分で書かれたものと講演を活字にしたもの、お弟子さんの本がある)である。とても読みやすく「自分は読んでるのだ」という気負いもなく、気楽に読めてしまうのだけれど、どの本からも大いに学びがある。これらを読むと古典だけでなく現代人の書いた本も読まなくてはだめだと改めて思う。

例えば~
「毎日、ニンニクとショウガでレバ刺食って、ステーキ食ってる『うつ』の人っていうのは、考えづらいんだよね。考えづらいってことは、起きないんだな、ハハハ。
 だから、大概のことは、『この組み合わせは考えられない』っていう組み合わせにしちゃうと、なくなっちゃうんだよ。要するに、似合わないことをやっちゃうという
 ほとんどの人は難しいことを考えるけど、世の中って、本当はすっごいシンプルにできているんだよ。
 どっか体の具合が悪くて、『あそこが悪くて、ここが悪くて』っていう人もいるけど、
『いや私は元気ですよ、こんなモンで十分です』
 とかいってる、そんな強気な病人って珍しいんだよ。それで、そういう人って、たいてい治っちゃうんだよ。
 それでね、病気っていうのは気が患う。弱気になると病気になりやすくなるんだけど、強気になれば勝手に治っちゃうものなんだよ。
 病院で治療を受けるな、ということじゃないの。病院に行きながら強気で生きていけばいいだけのことでさ。
 だからさ、人間っていうのは、何でも利用すればいいんだよ。
 (中略)
 不思議なんだけど、自分が強気のほうがいいと思っていれば、どんどん強気になるんだよ」(みっちゃん先生著『斉藤一人とみつちゃん先生が行く~ウサギはトラのように生きる必要はないんだよ。~』より)

この部分を読んで以来(2,3日前より)、鏡の中の自分に向かって「おまえは強気だ!」と心身統一道の命令暗示法を行っている。
哲学者、中村天風は、「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい」といった。“病”と“病気”の言葉遣いをも厳密に区別したそうだ。
“病”も気が病んでいなければ“病気”にはならない、つまり常に“強気”であれば“病気”にはならないとの見解はやはり真理ではないか。
なんだかんだいっても、心や魂といった見えないところに我々人間の根っこがあるのだろう。
その根っこの部分が“病”でなければ、幹や枝、葉である体も“病”でなくなる。一人氏がいうように、おそらく、人間や自然界はシンプルにできている。複雑がありがたいというのは、人間の“我”のせいかもしれない。

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August 12, 2005

神仏への礼節。息子の咳が止まった…

明日、谷中の全生庵で久しぶりに講義を受けようと思っている。
(直接お話をしたことはないが)私が心の師としている
仏教学者、紀野一義先生の“正法眼蔵”の講義があるからだ。
その全生庵で講義を受けるときは、時間のゆるす限り
本堂に参拝し、境内に立つ観音像にご挨拶し、全生庵創立者の
山岡鉄舟先生の墓に参る。
そんなことをしなくても、誰にも文句を言われることはないし、
講義を受けている人の中で、
同じ行動をしている人は少ないだろうが
自分ではそういうことが大切なのだ、と心より思っている。

それをつくづく感じた1つの例をご紹介したい。

先月、従兄弟の結婚式が、東京・神田の神田明神であり参列した。
(※ちなみに神田明神は、山王祭、三社祭と並んで江戸三大祭と
称される神田祭が行われる神社。
わが夫婦は山王祭が行われる赤坂・日枝神社で結婚式を挙げた)。

礼装をした私と妻と娘(5才)、息子(2才)が神社にたどり着いて
まっさきに行ったのは、例によって神様へのご挨拶。
手をきよめ、口をすすぎ、お賽銭を4人それぞれが賽銭箱へ献上し、
お参りをした。10円、50円、100円といったレベルだが、それだって
我が家にとっては馬鹿にならない金額だ。
心の中で、名前と住んでいるところまで申し上げ、
「本日はよろしくお願いいたします」とご挨拶。
(結婚式に参列した人で真っ先にそうした人は少ないだろう)
その後、境内にある別棟の
待合所件披露宴会場で式を待っていたとき、
(そのときの披露宴は別の場所で行ったのだが)
息子の咳が止まらなくなった
(我が家では喘息と言わないようにしている)。
冷房のせいが大きいだろう。

そこで、ジョウレイという私が治療と生き方のベースにしている
方法(一種のヒーリング法)を行ったのだが、
なかなか咳が止まらない。
親族紹介のときもコンコン出っ放しで、申し訳なかった。

その後、いよいよ、神田明神のご神前に移動して
結婚の儀が始まった。
最初は、ジョウレイを行っていても息子の咳が止まらなくて、
いよいよ本番だし、申し訳ない気持ちで一杯だったのだが、
ふと、そこが神田明神の神様の御前であることを思い出す。
そして、神様に祈った
「息子の咳を止めるためにどうかお力を
お貸し下さい。結婚の儀が無事に行われるようにどうか…」。
そう祈りながら、結婚式は始まっていたのだが、
密かにジョウレイをした。
すると、驚くことに、咳がピタッと止まったではないか!
その後、隅田川の屋形船で披露宴(会食)が行われたが、
お蔭様で息子の咳はずっと止まっていて、
おいしい食事をいっぱい食べ、走り回り騒いでいた。

私が祈ったのみならず、結婚式を挙げた2人のことを
神田明神の神様が祝福していたせいかもしれない。
結婚式をあげた自分より6歳ほど年下の従兄弟は
お父さんが小学生の頃なくなってから他の兄弟とともに
お母さんを支えてきた親孝行のとてもいい奴だし、
その結婚相手も沖縄出身のとても心あたたかい人だ。

ただ、私が、神田明神の神様にピントを合わせたとたんに、
式の出席者みんなから心配された
息子の咳がピタリと止まったのは
紛れもない事実だ。

もちろん、式の終了後、神田明神の神様にちゃんと
お礼を申し上げたのは言うまでもない。
また、あらためて、神田・御茶ノ水の方面に出るときは
ご挨拶に伺おうと思っている。


この例のように、その土地に代々、
祀られている神様・仏様は敬い、礼節を尽くす、
科学の時代ではあるが、
そうしたことは大切なのではないか。
たとえ、神道や仏教の信者ではなくとも。
例えば、自分が住んでいるところはもちろん、
家族の入院している病院のある地域の産土神に参拝する、
馬鹿らしいことのようだが、
決して馬鹿にできないことなのである。


ささやかな体験をここに書かせていただきました。

(※神田明神の祭神は、
  大己貴命(おおなむちのみこと)、
  少彦名命(すくなびこなのみこと))
  

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August 07, 2005

一燈を頼め

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一燈を提げて暗夜を行く。

暗夜を憂うること勿れ。

只だ一燈を頼め。

                       佐藤一斎 『言志晩録』

〔訳文 川上正光〕
暗い夜路を行く場合、一張の提灯(ちょうちん)をさげて行くならば、
如何に暗くとも心配するな。
ただその1つの提灯を頼んで行けばよいのだ。

※いつも有難うございます。
 2,3日、家をあけます。
 コメント・トラックバックへの返事、
 書けていない方のもありますが、
 帰って後、お返事させていただきます。
 御心の込もった、コメント、トラックバックに
 心より感謝しております。

                        

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August 04, 2005

命あっての物種(ものだね)

我々は、病気の症状が出ないと“健康”であると
思いがちである。

それは、たまたま症状が出ていない
ということだけであるかもしれない。

何より、懸念すべきは、病気であるということより
“生命力が弱る”ということではなかろうか。
“生命力が弱る”ということは、“生命力が減っていく”
ということであり、
“生命力が減っていく”ということは、
“生命がいつかは消えてなくなってしまう”
ということにつながる。

若い世代であればあるほど、
成人男性の精子の数が激減している
ということもその1つの現れであろう。

また、生命力が弱るということは、
自然治癒力も弱ることに直結してくるだろう。
すると、病気の治りも悪くなる。

昨今、子どもに、もっと詰め込み教育をしろ
という意見が多く聞かれる。
それは、つまりは国の経済力を落とさないがため
ということになろうが、
肝心の生命力が弱っていては、
勉強もろくにできないし、
第一社会人となってからまともに働けない。
すると、国の経済力を上げる、
もしくは維持するという
目標は達成されるべくもない。

生命力を守る、はぐくむ、回復する・・・
命があればこその経済活動であり、生活であり、
自己実現である。

「命あっての物種(ものだね)」ということを
現代人は強く強く認識する必要がある。

※尚、楽天の「コラムDEキビダンゴ!」も昨晩、更新しましたので
 ご覧になっていない方は、画面左側の「もう1人のモモタロウ」
 からお入り下さい。タイトルは「地球主義」です!


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August 02, 2005

地球のために自分が健康になる!?

養生、私に出ずれば、則ち養翻って害を招き、
公に出ずれば、則ち養実に養を成す。
公私の差は毫髪にあり 『言志耋録』より

[訳文]
養生は、わが身かわいさという私心から出ると、
却って害を招くことになり、国のため、世のために
わが身を大切にするという公の心から出れば、
その養生が本当の養生になる。
この公と私の違いは、極く僅かの所にあるのだから、
よく注意する必要がある。 ( 川上正光訳)

「公私の差は毫髪にあり」の“極く僅かの所”とは“心の持ち方”ということであろう。
僕は、もともと、「人間は地球の一部なのだから、自分という人間を健康にすることは、地球をより健康にすること、よりよくすること」につながると考えていた。
『言志四録』を書かれた佐藤一斎先生は、この文ではつまり、そういった“公の心”を持てば、本当の養生になると書かれているのだろう。嬉しい限りである。
 
今、病気がちで、世のため人のために何も役に立つことができていないという方は、何も嘆く必要はない。世のため地球のため病気を治すのだ健康になるのだという“心”さえ持って治療に当たれば、それはすなわち、世のため地球のためになっているのである。しかも回復もより早くなるということであろう。

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