神仏への礼節。息子の咳が止まった…
明日、谷中の全生庵で久しぶりに講義を受けようと思っている。
(直接お話をしたことはないが)私が心の師としている
仏教学者、紀野一義先生の“正法眼蔵”の講義があるからだ。
その全生庵で講義を受けるときは、時間のゆるす限り
本堂に参拝し、境内に立つ観音像にご挨拶し、全生庵創立者の
山岡鉄舟先生の墓に参る。
そんなことをしなくても、誰にも文句を言われることはないし、
講義を受けている人の中で、
同じ行動をしている人は少ないだろうが
自分ではそういうことが大切なのだ、と心より思っている。
それをつくづく感じた1つの例をご紹介したい。
先月、従兄弟の結婚式が、東京・神田の神田明神であり参列した。
(※ちなみに神田明神は、山王祭、三社祭と並んで江戸三大祭と
称される神田祭が行われる神社。
わが夫婦は山王祭が行われる赤坂・日枝神社で結婚式を挙げた)。
礼装をした私と妻と娘(5才)、息子(2才)が神社にたどり着いて
まっさきに行ったのは、例によって神様へのご挨拶。
手をきよめ、口をすすぎ、お賽銭を4人それぞれが賽銭箱へ献上し、
お参りをした。10円、50円、100円といったレベルだが、それだって
我が家にとっては馬鹿にならない金額だ。
心の中で、名前と住んでいるところまで申し上げ、
「本日はよろしくお願いいたします」とご挨拶。
(結婚式に参列した人で真っ先にそうした人は少ないだろう)
その後、境内にある別棟の
待合所件披露宴会場で式を待っていたとき、
(そのときの披露宴は別の場所で行ったのだが)
息子の咳が止まらなくなった
(我が家では喘息と言わないようにしている)。
冷房のせいが大きいだろう。
そこで、ジョウレイという私が治療と生き方のベースにしている
方法(一種のヒーリング法)を行ったのだが、
なかなか咳が止まらない。
親族紹介のときもコンコン出っ放しで、申し訳なかった。
その後、いよいよ、神田明神のご神前に移動して
結婚の儀が始まった。
最初は、ジョウレイを行っていても息子の咳が止まらなくて、
いよいよ本番だし、申し訳ない気持ちで一杯だったのだが、
ふと、そこが神田明神の神様の御前であることを思い出す。
そして、神様に祈った
「息子の咳を止めるためにどうかお力を
お貸し下さい。結婚の儀が無事に行われるようにどうか…」。
そう祈りながら、結婚式は始まっていたのだが、
密かにジョウレイをした。
すると、驚くことに、咳がピタッと止まったではないか!
その後、隅田川の屋形船で披露宴(会食)が行われたが、
お蔭様で息子の咳はずっと止まっていて、
おいしい食事をいっぱい食べ、走り回り騒いでいた。
私が祈ったのみならず、結婚式を挙げた2人のことを
神田明神の神様が祝福していたせいかもしれない。
結婚式をあげた自分より6歳ほど年下の従兄弟は
お父さんが小学生の頃なくなってから他の兄弟とともに
お母さんを支えてきた親孝行のとてもいい奴だし、
その結婚相手も沖縄出身のとても心あたたかい人だ。
ただ、私が、神田明神の神様にピントを合わせたとたんに、
式の出席者みんなから心配された
息子の咳がピタリと止まったのは
紛れもない事実だ。
もちろん、式の終了後、神田明神の神様にちゃんと
お礼を申し上げたのは言うまでもない。
また、あらためて、神田・御茶ノ水の方面に出るときは
ご挨拶に伺おうと思っている。
この例のように、その土地に代々、
祀られている神様・仏様は敬い、礼節を尽くす、
科学の時代ではあるが、
そうしたことは大切なのではないか。
たとえ、神道や仏教の信者ではなくとも。
例えば、自分が住んでいるところはもちろん、
家族の入院している病院のある地域の産土神に参拝する、
馬鹿らしいことのようだが、
決して馬鹿にできないことなのである。
ささやかな体験をここに書かせていただきました。
(※神田明神の祭神は、
大己貴命(おおなむちのみこと)、
少彦名命(すくなびこなのみこと))
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Comments
生きていくということはこんなに難しいものなのかと最近思います。人が一人、生きていくということに、どれだけのサポートがあるのか、それは家族とか環境とか目に見えるものの他にも、目に見えない多くの力が働いている、そのことに気付かないと自分が生きている意味を見失ってしまうかもしれませんよね。
モモタロウさんのように、起こったことを真摯に受け止め、その意味を追求する姿勢を常に心の中に宿していたいと思いました。まだまだ修行が足りず、感謝の気持ちを忘れることもあり、自分の弱さに落ち込むこともあります。
それでも、こうやって初心に戻してくれるモモタロウさんの記事に触れることができて、ありがたく思っています。
Posted by: ぢゅん | August 13, 2005 12:19 PM
ぢゅんさん
そういっていただいたことに感謝です。
僕なんか、しょっちゅう、いらいらしたりして、
不機嫌になったりして、子どもや妻に当たってしまうようなこともあります。
ほんとうは、家族や周囲の人たちのお陰で生きているんですけど、忘れがちです。
この記事も、たまたまそうしただけなのに、今、思うと、いかにもいいことをしているのだと自慢をし価値観を押し付けているようで、少し反省です。
ただ、やはりお盆また終戦の時期でもあるので、意識するのですが、自分が今生きているのは先祖や戦争などで犠牲になった人々のお陰で生きているのだと。
見えないものの力によっても生かされているのだと。
だからこそ感謝し、今生きさせていただいている自分が、少しでも恩返しをしたいと。そう考えた方が人生が豊かになるような気が最近しました。
[生きていくということはこんなに難しいものなのかと最近思います。]
この言葉、とても思いし、深いと思います。
Posted by: モモタロウ | August 16, 2005 11:03 PM