強気になれば病気は勝手に治っちゃう
『言志録』のような古典も最初はとっつきにくいのだけれど、じっくり読むと、汲めども尽きない井戸のように、読むたびに色んな学びがある。かといって、会話調でやさしく、とっつきやすく書かれた現代の本も古典に負けないほどに、さまざまな学びができるものがある。その1つが、斉藤一人氏の本(自分で書かれたものと講演を活字にしたもの、お弟子さんの本がある)である。とても読みやすく「自分は読んでるのだ」という気負いもなく、気楽に読めてしまうのだけれど、どの本からも大いに学びがある。これらを読むと古典だけでなく現代人の書いた本も読まなくてはだめだと改めて思う。
例えば~
「毎日、ニンニクとショウガでレバ刺食って、ステーキ食ってる『うつ』の人っていうのは、考えづらいんだよね。考えづらいってことは、起きないんだな、ハハハ。
だから、大概のことは、『この組み合わせは考えられない』っていう組み合わせにしちゃうと、なくなっちゃうんだよ。要するに、似合わないことをやっちゃうという。
ほとんどの人は難しいことを考えるけど、世の中って、本当はすっごいシンプルにできているんだよ。
どっか体の具合が悪くて、『あそこが悪くて、ここが悪くて』っていう人もいるけど、
『いや私は元気ですよ、こんなモンで十分です』
とかいってる、そんな強気な病人って珍しいんだよ。それで、そういう人って、たいてい治っちゃうんだよ。
それでね、病気っていうのは気が患う。弱気になると病気になりやすくなるんだけど、強気になれば勝手に治っちゃうものなんだよ。
病院で治療を受けるな、ということじゃないの。病院に行きながら強気で生きていけばいいだけのことでさ。
だからさ、人間っていうのは、何でも利用すればいいんだよ。
(中略)
不思議なんだけど、自分が強気のほうがいいと思っていれば、どんどん強気になるんだよ」(みっちゃん先生著『斉藤一人とみつちゃん先生が行く~ウサギはトラのように生きる必要はないんだよ。~』より)
この部分を読んで以来(2,3日前より)、鏡の中の自分に向かって「おまえは強気だ!」と心身統一道の命令暗示法を行っている。
哲学者、中村天風は、「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい」といった。“病”と“病気”の言葉遣いをも厳密に区別したそうだ。
“病”も気が病んでいなければ“病気”にはならない、つまり常に“強気”であれば“病気”にはならないとの見解はやはり真理ではないか。
なんだかんだいっても、心や魂といった見えないところに我々人間の根っこがあるのだろう。
その根っこの部分が“病”でなければ、幹や枝、葉である体も“病”でなくなる。一人氏がいうように、おそらく、人間や自然界はシンプルにできている。複雑がありがたいというのは、人間の“我”のせいかもしれない。
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Comments
モモタロウさん、こんにちは!
この記事、18日に拝見し、『うーーん!!!』とうなったまま、コメントを残すのも忘れ、本を探しに出かけてしまいました。斉藤氏のほかの本はあったのですが、1冊目はこちらでご紹介の本を読みたかったので、どうしようと思っていたら、アマゾンにありました!
普段はアマゾンで一番に探すのに!でも本屋さんに行ったおかげでとてもうれしいことがあったので、得した気分です。
素敵な本をご紹介くださりありがとうございました。いまからじっくり読みます。
母ともモモタロウさんのブログの話をし、『まさに!だね』と話しました。私を通して、母のことも勇気付けていただきました!
Posted by: ぢゅん | August 20, 2005 04:34 PM
ぢゅんさん
ぼくとしても非常に嬉しいです。
こうして喜んでいただくと、勇気付けられます。
自分としても、いろいろな面で迷いとか生じていたものですから。。。
まあ、そんな迷ったりせず、強気で前へ前へ少しずつでも進むことなんですね。
その本の中でも斉藤一人さんがいっているように、まずは楽しいことをやることなんでしょうね。
当たり前ですが、「ありがとう」と喜ぶということは、その相手にも喜びを与え、力を与えられるものなんですね。それを気づかせてもらえました。感謝です!
ありがとうございました!
Posted by: モモタロウ | August 21, 2005 05:35 PM