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September 11, 2005

家庭でも『全人教育』・・・

私は、家庭教育についても、『全人教育』を念頭にいれて、
子どもの教育にあたっていくべきであると思っています。
(実際にどこまでできるかは別として…)
学校や幼稚園、保育園・・・で行われる教育と含めて、
トータルでとらえていけばいいと考えます。
それには、何よりも、自分(親)自身が自らの成長のために
子どもと同じ6つの方向で、
それぞれ少しでも実践していくことが肝要であると考えます。


以下、小原國芳著『全人教育論』より

○教育の内容には人間文化の全部を盛らねばなりませぬ。
  故に、教育は絶対に「全人教育」でなければなりませぬ。
  全人教育とは完全人格即ち調和ある人格の意味です。

○人間文化の六方面
  学問、道徳、芸術、宗教、身体、生活

○それぞれの理想
  学問⇒真 
  道徳⇒善
  芸術⇒美
  宗教⇒聖
  身体⇒健
  生活⇒富

○教育の理想はすなわち、真、善、美、聖、健、富の6つの価値を創造すること。

○真、善、美、聖の四価値を絶対価値と言い、健、富の価値を手段価値という。

○この6つの文化価値が、秋の庭前に整然と花咲いとるコスモスCosmosの花のように、調和的に生長して欲しいのです。

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September 06, 2005

本当に生活習慣の悪化が死因か?


 妹の夫38歳の死因は、急性心筋梗塞でした。生活習慣病と呼ばれる病気の1つ。確かに、太っていたし、タバコをけっこう吸っていた。かなりのストレスも受けていたでしょう。もっと生活習慣を正していれば、予防に注意していればこういうことにならなかったと責める人もいます。

 ただ、私は身近な人がこうなって、生活習慣病それだけでは片付けられないものを感じます。生活習慣病とひと括りするのは簡単ですが、人間はもっと立体的で重層的であり、社会的であり、時間的であり、形而上的な・・・存在です

 太らなければよかった、タバコを吸わなければよかった、ストレスを溜め込まなければよかった・・・といっているだけでは何も解決にならない。太るほどに食べざるを得なかった、タバコをいっぱい吸わずにはいられなかった、ストレスから逃れることができなかった。「それはなぜか」・・・。そこを追求していくことに、たとえ真因はわからなくても、今生きている私たちの本当の意味で参考になる大切なことがあるような気がします。自分の中で整理されるまでしばらく待ちたいと思っています。

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September 05, 2005

「なんとかなる」

義弟が亡くなった8月24日の朝、
医師から「もうだめだ」と言われた妹から電話がありました。
「どうしよう。どうしよう・・・」。
繰り返し言っていた言葉が移り
「どうすりゃいいんだ」と自分の頭の中も混乱します。

祈ったり、呼吸法をしたり、注意を他の事にしむけたりしましたが、全然だめ。
そのとき、ふと思いついたのが
困った事は起こらない」との言葉。
そこから連想して「なんとかなる」を心の中で繰り返し唱えました。
なんとかなる」「なんとかなる」・・・。
すると、頭のヒートアップが冷め、
病院に到着したときは、葬儀屋の手配など冷静に対処できました。

 後日、ある人に、これから先も「『なんとかなる』と思っている」と言ったところ、
「そうはいっても、なんとかならない時もあるんだよね」の返事。
こういうときにあまりにも冷たいお言葉じゃありませんか!
しかし、哲学者、森信三先生は
「『世の中はなるようにしかならぬ。だが必ず何とかはなる―』
もしこの『何とか』というコトバの中に、
『死』というコトバも入れるとしたら、
これほど確かな真理はないだろう」といっています。

「死」さえ受け入れて、「なんとかなる」と念ずれば、
いざというときでも、少なくとも気は落ち着きやすいのではないでしょうか。

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September 03, 2005

禁じ手 ~ カンフーのように ~

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どう?かっこいいでしょう。。。

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ブルース・リー?
もしかして
ジャッキー・チェン?
実は、本人はマジレンジャーのつもりです
親のひいき目かもしれませんが、
なかなかいい動きしているでしょう・・・


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お、おい!両手を上げるなと言っただろう。


            by momotaro(写真/文)
              ※今年7月に撮影しました。

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September 02, 2005

重荷を有難く背負う。


書棚にあった『東井義雄先生のことば「いのちの実感」』
という小さな本の、この言葉に励まされました。

  つらくても、おもくても、自分の荷は
  自分で背負って生きさせてもらう。

そして、この言葉の解説に、こんな文がでています。

  「ああわたしは これからも 貧しく 愚かで 
  どかいしょなしであることの 
  しあわせを たいせつに いのちの限り 
  貧しく 愚かに 生き 生かせてもらいたい」
  
  この低下(ていげ)の自覚に立って、
  重荷を背負い、全力を傾けて責任を果たされる
  ―これが東井先生の生き方でした。

さらに、こんな言葉も出ています。

  自分は自分の主人公。
  自分をりっぱにしあげていく責任者。

病や家庭の境遇、災難はもちろん、
“どかいしょなし”で“どうしようもない”自分も、
自分を“しあげていく”上での有効な道具になる。
それらの重荷や責任を投げ出しさえしなければ。
そう受けとめました。


  ※東井義雄
    ペスタロッチー賞を受賞した教育者であり、仏教者。  

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September 01, 2005

ショー・コスギ゙流の子育て


テレビ番組でハリウッド・スターの
ショー・コスギさんが言ってました。
子育てについて(彼は、ご存知のように
ケイン・コスギのお父さん)、
今までの自分の子どもを育ててきた上での
方針です。

鉄は熱いうちに打て!
①1つのことに打ち込む
②礼儀作法を身につける
③15歳を過ぎればまかせる


(以下、だいたいこんな内容を語ったということです)


①について

日本人の親は子どもに水泳だったり、ピアノだったり、
いろいろなことを習わせるが、そのどれ1つとってもモノに
ならないではないか。
アメリカでは、成人して、いかに専門を掘り下げているかが、
問われている。
歌舞伎役者の家では子に歌舞伎を教えるように、
子どもは何がいいか判断できないわけだから、
親が自分の縁でいいから何か1つ決めて
やらせるべきなのだ。
たとえ、それを職業にしなくとも、1つに決めて
打ち込めば、役にたつものなのだ。

②について

日本人には礼儀作法ができない人が多すぎる。
あいさつもできない。
アメリカは意外のようだが、ちゃんとしている。
子どもにやらせるには、まず親が礼儀作法を
しっかりできなければならない。

③について

15歳を過ぎてからは、たとえば①についても続けるか否かは、
自分の意思にまかせる。ただ、今までやってきたことを生かして
その先もやるように伝える。
15歳を過ぎたら、自分の意思で動くので
それから子どもを躾けても、言うことをきかない。


                (以上)

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たたかれて・・・

お悔やみ、励ましの言葉をくださった方、
心より感謝申し上げます。

こうした言葉はありがたいものですね。
とても勇気付けられました。

お通夜は27日(土)、葬儀は28日(日)に
無事に終えました。

私も、こういう星の下に生まれたのでしょうか、
たたかれるときには、さんざんにたたかれます。

今回も、
3年以上にもわたる病の療養中に40になり、
生活の方をなんとかしなければならないと切実に
思いつつも、なかなか思うようにならぬと
もがいていた矢先に、
妹の夫の死。
妹には中1の長女と小5の長男がいます。
私と妹は2人兄妹で父母はすでに他界。
ある意味、肉親で頼れるものは私しかいません。

他人より見れば、一見、大変そうかもしれませんが、
私は、むしろ、少し不謹慎ですが、喜びの心をもって
受け止めています。
これは、何にも増して、自分の厚みを作り、深みをつける
絶好の機会だからです。

しかし、ただやり過ごすだけでは意味がありません。
つまり、「逃げない」この一語に尽きると思います。
我が家のことはもちろん、妹のことも、
誠をもって、正面から受けとめ、あたっていこうと、
決心しています。

こうして、自分の器を少しでも広げて、
自分にとってより大きな、
世の中のために意義のある仕事を
成し遂げて、この世を去りたいと衷心から願っています。。。

そのためにも、こうした逆境とは実に
ありがたいもの。
皆様にも、神様にも感謝しております。

あらためて、「ありがとうございました」。

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