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October 28, 2005

心を高めることによって病を治す

このブログのサブタイトルを変え(これで2度目ですが)

「【モモタロウ・パパの健康日記】
~心を高める・魂を磨くことによって病を自然に治したい~」

としました。以前は、

「【モモタロウ・パパの健康日記】
~ぜん息や難病を可能な限り“薬”を使わずに治したい~」

でした。

なぜなら、私は「物事にはできるだけ、こだわらない方がいい」
「こだわるなら、一番大切な事にこだわった方がいい」
と考えるのですが、

自分の人生にとって大切なのは、「薬を使わない」ことよりも、
「心を高める・魂を磨く・人間性を深める」ことだからです。
それは、つまり、人のため世のためにより役立てる
人間・魂になるということです。

私は「薬をできるだけ使わない」という事も大切だと思うし、
今後も、その方針で生きていきますが
(それは、非常に大変な事なのですが)、
今の私にとって「薬をできるだけ使わない」とうことは、
「心を高める・魂を磨く・人間性を深める」
とても有効で大切な手段なのです。
ただ、あくまで、目的ではなく手段なのです。

一方で、「心を高める・魂を磨く」ことで「病が治る」
のか、という議論もあるでしょうが、
私はそれを信じているし、たとえ、在世中にそこまで
心・魂が高まらず病がすっかり治らなくとも、
生きている間により魂を高めることが
できたのだから、この世に生を受けた目的は達しえたのです。
それは、より人のため世の中のために役立てる人間になった、
自然により役立っているということであると思います。

私は、人生の目的は、
「魂=心=人間性の成長」と
「世のため人のために役立つこと=人類の進化向上に資すること」
であり、それは、社会人となってから変わらぬ信念です。

ただ、どこに人生のポイントを置くか、そしてそこからずれない事は、
重要なことであり、
このブログのサブタイトルを変えることによって、
あらためて、方向性を確認し、肝に銘じて、歩いて行こうと
思った次第です。

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October 27, 2005

ブログを書くという“救い”

パソコンを使うと体調が悪い時期は、
症状が悪化するということもあり、
また、現に、ブログもとても書けないような状態も多いのですが、
(※中発作と大発作を行ったり来たりしている状況―下記参照)

書くことも、自分の救いになっていることに気づきました。
また、苦しい状況の中で自分が気づいた事やつかんだ事が
同じような状況の人、またもっと苦しんでいる人のほんの少しでも
参考になるかもしれません(そう思って書くことが、また自分の
救いになります)。

リンクしていただいている人や訪問していただいている人
(楽天も含めて)へ、しばらくは訪問すること、返事を書くこともも、
なかなかできないかもしれませんが、

治病法・回復法の1つと思って、
“記事を書くこと”は“ほどほどに”して行こうと思います。

(例年からいいますと、おそらく、12月には通常通りに生活できるように
なると思います。)


※ぜんそく発作の程度

○小発作は、軽いぜん鳴が聞こえても、呼吸困難はありません。
 会話も動作も、いつも通りに過ごせる状態です。
 小発作が起きたら、コップ1杯の水を飲ませて水分を補給し、
 衣服を緩めて、深呼吸をさせてあげてください。
○中発作は、呼吸が苦しく座って前屈みになり、
 あえぐように肩を揺らして呼吸するような状態です。
○大発作では、咳やぜん鳴に加えて、激しい呼吸困難を起こし、
 話をすることや動くこともできなくなります。
 横になると呼吸が苦しいために、起き上がってしまう人もいます。
 酸素を充分に取り込めないために、
 唇や皮膚が紫色に変わるチアノーゼ状態が表れることもあります。


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October 26, 2005

痛みや苦しみは心を豊かにする

「確かに、地上的観点から、つまり物質的観点からのみ人生を眺めれば、病弱な身体をもって生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、物的には不幸の要素が多いと言えるでしょうが、その意見は霊については当てはまりません。

 身体が病弱だから霊も気の毒で、身体が頑健だから霊も豊かであるという方程式は成り立ちません

 実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考えの方が正しいのです。」

(以上トニー・オッセン編『シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ』ハート出版より)

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October 24, 2005

喘息という修行を選んだ…


シュタイナーは、この世の自分の境遇はこの世に来る前に
自分で選んだものだといっているが、

自分は修行のために生まれてきた。
そして、その修行のために自分で選んだ方法が“喘息”である

と考えた方が、この先の人生、
間違いを少なく、生きていけそうだ。
そうでもなければ、物心つかないうちから喘息となり、
40年あまりたった今も
こんなに苦しんでいることに対して納得できない。
だから、そこから逃れようと、もがいてしまう。

それを別の表現すれば、“喘息”も自分なのだ。
自分から逃れようとして、脱出を試みて、結局引き戻されるということを
何度もしてきた。
たとえ遺伝があるとはいえ、普通よりも早く多発性嚢胞腎が
出てしまったのも、そういうことでもあると考えている。
その結果、薬を使うのが躊躇され、結局、喘息にもっとどっぷりと
つかることになった。

よく人は「病と仲良くする」という。
頭ではわかっていても、
これだけ毎日、苦しみが続くと
「病と仲良くする」なんて生易しいものではない、
という思いが自然に湧いてきてしまう。
むしろ、

「自分は修行のために生まれてきた。
そして、その修行のために自分で選んだ方法が“喘息”である。
だから苦しいのは当たり前。」

と考えた方が、自分にはシックリくる。
その考え方が、自分にとっての「病と仲良くする」
なのかもしれない。

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October 22, 2005

ジタバタするのはやめよう

一時、落ち着いたと思ったら、また発作が起きています。

1日や2日、発作で床に横になって眠れなくても

たいしたことないですけど、

それが1週間、2週間・・・1ヶ月・・・、と続くと

きついものですね。何度経験しても慣れません。

できるだけ薬を使わないように、ということで、

気功とか爪もみ、とか、マッサージ、

ときに、サプリメントとかいろいろ試していますが、

発作の嵐の激しさには、すべて吹き飛ばされてしまいます。

なんとかしようともがけばもがくほど、苦しみが増していく

ような気がします。

こういうときは、ジタバタしないことでしょう・・・。

そのため、この季節は、仕事を受けたり約束は

できるだけしない方がいいのではないかと

少し反省しています。

ご訪問、コメントをくださった方、ありがとうございます!
励まされます。感謝しております。


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October 16, 2005

みなさまへ


いつもご覧くださっている皆様へ。

いつも、ありがとうございます。

また、コメントをくださった方、心より感謝しております。

9月半ばより、体調をくずし、記事を書かないでおります。

今、少し状態は落ち着いたのですが、

久しぶりに仕事を受けたために、

今しばらく、落ち着いてかけないでおります。

(ちょうど、体調がよくなりはじめてから、
タイミングよく、実際に、
作業を当たらなければならなくなり、
ありがたく思っています)


もう少したちましたら、記事を書かせていただきます
(コメントの返事、また、訪問もふくめて・・・)

今後とも、よろしくお願いします。

いつも、訪問してくださり、ありがとうございます。

感謝しております。

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