美人はパーツでなく全体で見られる
前回「この世をよくしたいならば、この世を愛することだ」
と書きました。
その「この世を愛する」ですが、ようするに、
個々の事象については、
愛せない場合もあるかもしれないけれども
自分をふくめて、自分をとりまく、この世の中ぜんぶを対象に
したら、愛することができるのではないか。
少なくとも肯定することが、できるのではないかと
ことでもあります。
たとえば、悪人がいたとして、
「この悪人がいるから、善人と呼ばれる人もいるのだ」
と考える、すなわち、善も悪も含めたトータルで
見ていくべきではないのか。
そうすれば、この世はいやにならない。
美人や美男子と呼ばれる人がいますが、
多くの人は、
個々のパーツで見ているのではなく、
全体の雰囲気などを見て、
美人とか美男子とかいっている
場合が多いのではないでしょうか。
美人女優とか2枚目俳優と呼ばれる人でも、
からだの一部分だけみると、けっこう
整っていない場合が多々あるものです。
逆に、からだのすべてのパーツが完璧だとしても
人気が凋落すると、輝きがなくなり、
美人とか美男子の形容がふさわしくなくなる、
人からうらやましがられるような存在でなくなる人は
世の中にいくらでもいるものです。
この世全体というと、大宇宙とか、地球全体とか、世界とか
とてつもなく大きく感じるかもしれませんが、
この世とは、その人が感じている、もしくは、その人を取り巻く
すべてだととらえていいのではないでしょうか。
あくまでも、その人がとらえている宇宙であり、世界なのです。
だから、「この世を愛する」とは「その人の周囲のものを愛する」、
「その人を取り巻くこの世の全体を愛する」
ということだと思うのです。
それをたとえ、愛せなくても、少しでも愛する方向にもっていく。
そうじゃなければ、「この世」で生きていくのは、
とてもつらいことになると思うのです。
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