分を知ってこそ、ほんものの歩み
「分」をわきまえる、「分」を知るというと
なにか、とても消極的な、単なる処世術の
ように思われがちですが、
そうではなく、
とても積極的(そこに至ってこそ価値ある
積極性を得られるといいましょうか)、
かつ深い哲理であるということがわかります。
森信三著「一日一語」より
「分を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。
随って人間も分を自覚してから以後の歩みこそ
ほんものになる。
だが才能のあるほど、その関心が多角的ゆえ、
『分』の自覚に入るのが困難であり、
かつ遅れがちである」
(注―傍線は私がつけました)
このことからいっても、
他人より身体的におとる、
他人より能力が足りない、
病持ちでやれることに限りがある、
・・・・ということも、
分を早くさとりやすいという意味で、
あながち、悪いことでは
ないということになりましょう。
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Comments
「分」をわきまえる。。。って、消極的な意味にとらえていたけど、実は積極的な意味だったんですね〜(*^^*ノ
自分の限界を知るってことは、自分の最大値を知るってことでもある気がします♪
「分」をわきまえるって、出発点なんですね〜。
そういえば、うつ病かも!?って自覚したことが、
いろんなことの出発点になっている気がします〜。
これも、「分」ってことなのかな?
なかなかスタートしないのが、悪い癖ですが(笑)
Posted by: こぞう | June 21, 2006 03:39 AM
こぞうさん
「そういえば、うつ病かも!?って自覚したことが、
いろんなことの出発点になっている気がします〜。
これも、「分」ってことなのかな?」
きっとそうですよ。
そこから、むしろいろいろな可能性が広がってくるのだと思います。
自分の中にあるものを認めないと、行き止まりになっちゃうような気がします。
Posted by: モモタロウ | June 22, 2006 06:48 PM