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June 23, 2006

私たちは何もしなくてもいい

私たちは何かをしなければいけない。

何かをしなければいけない。

と常に、追い立てられているわけです。

病になったときもそう。

それから、健康を保つという意味でもそう。

でも、ほんとうは人間はなんにもしなくても

いいのかもしれません。

それは、別の表現をすれば、意識的に

何かをしなくてもいいのかもしれません。

そこらへんが、自然農法家の福岡正信さんの

“無”の思想につながる考えかもしれません。

ほんとうは、病になっても自然に治るように

できているのです。そして、普通に生きていれば

人間は健康に生きれるようにできているのです。

そこが、どうしても、まずは現代人が意識しなければ

ならない点に思えて仕方がありません。

まずは、私たちはなんにもしなくていいのですよ、

ぶらぶらしたいなら、ぶらぶらしてたっていいし、

働きたいなら働けばいい、たとえ病になったって、

ほうっておけばいいんだ・・・

とても無責任のようですが、他人にいうのじゃなくて

自分に語りかけることから始めるのがいいのじゃないかと

思うわけです。

そうすれば、働く意欲がない人はいつか必ず働く意欲が

出てくるわけですし、自然治癒力というものも、

たとえ、それが弱くなっている人でも、より強く

発揮されるようになるものとぼくは信じています。

そこから、「何かをしなければ」が出てきたときの

「何かをしなければ」が価値の高いものであって、

追いまくられるように「何かをしなければ…」というのは

逆効果だと思うのです。

たとえば、病気だったら

もうちょっと早く治す方向を

考えてみようと意欲が沸いてくるのかもしれません。

それこそが、より自然治癒力を生かし、

より発揮させる方法になるのではないでしょうか。

人間は、いかなる場合においても

「なんにもしなくてもいいんだ」

とくに意識的に何かをしようとする必要は

ないんだという

「野原の上で一人素っ裸で大の字に寝る」

心境になることが大切です。

ぼくは、このごろは、そこから自然に出てきた、

「何かをする」ことこそが価値のある

「何か」であるような

気がしてしょうがありません。

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