意識を深めるために生きる。健康が目的じゃない
私たちはここに、確かに生きているという存在にならなければならない。
何らかの賞をもらったとか、大会社に勤めているとか、そういうことじゃない。確固とした存在を築かなければならない。
このよりどころのない“生”を生きているがゆえに、意識を深める生き方をしていく必要がある。
私たちの存在というものは、じつに希薄なものである。自分とはなんだろうといつも思ってしまう。ここに世界というものを意識している自分とはほんとうに存在している自分なのだろうか。これは自分だけがもつ感覚なのだろうか。そうではないと思う。昔から日本人がいってきた無常とはそういうことではないか…。
だからこそ、生きている限りは、できるだけ、この意識というものをしっかりと世界に根付かせる必要があると思えてしまうのだ。
そして、体をしっかりさせる必要があるのはそのためのような気がする。体の健康を保つことが何より大切なのは、この自分の意識というものを濃くするための手段としてではないのか。
ただ、不幸にもこの体というものが、健康ではなく生まれてきた人も、またたとえば医療スパイラルの中に陥った人も、意識というものを深めることはできる。確固とした存在を確立することができる。そこに生きていく価値というものがあるのだ。
私が、たとえば呼吸法などの健康法を行う1つの目的というのはそこにある。健康になることが究極の目的にしたくない。
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