ありきたりで、奇妙な自分だけの宇宙?!
代替療法も、また代替療法じゃなくていいのですが、さまざまな宇宙を学び、ときにその中に没入し、その根本にある哲学や宗教を学ぶのは、結局、それを信じるというより、自分の宇宙観や哲学、宗教を創ることが目的であり、そこに帰結すると思います。 自分だけの、たった一人の、一人称の宇宙観であり哲学であり、宗教を創る・・・。
私はたとえばこのキビダンゴで、個々の代替療法や、治療法、思想、宗教を語る資格はないかもしれません。それほど、それについて精通しているわけではありません…。 結局は、自分の宇宙を創っていくことと、その“できかけ”をお見せすることしかできません。
結局は、ブログってそういうことでしょう?自分の世界を描いていくわけですから。他の芸術作品もそうなのでしょうが。 ようするに、ぼくを取り巻く奇妙な世界、宇宙を描くことで、どれだけ人の役に立つかはわからない。まあ、まともじゃなかったり、当たり前すぎちゃったりするかもしれませんから、それが参考になるかどうかは、ぜんぜんわかりません。 でも、参考になるかどうかはそれを見る人が決めるという、覚めた意見もあるわけで・・・。もしかしたら、ぜんぜん、誰の参考にならないかもしれない。役に立たないかもしれない。 むしろ、気に障るような、反論したくなるような、逆に、ほとんど無視されるようなことになるかもしれない。 でも、そこから始めなくては、始まらないと思うんですね。 奇妙で非常識ってことも、本人は正しいと信じているから書くのでしょうが、別にそれが正しいってことをいいたいんじゃなくて、自分の世界を描いている、もしくは創ろうとしているだけなんでしょうね。
まあ、これを読んだ人が、自分の、一人称の宇宙観、世界観、哲学、宗教を創るのにほんのちょっぴりでも、お役に立てたらうれしいに違いないですけど。まあ、それも期待してません。
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