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July 03, 2006

病の利点

実は、1つ前の記事「喘息と金メダル」のようなことは

以前より「喘息もちの嗅覚」で察知していましたが、

昨日の朝日新聞朝刊「仕事力」に、脳科学者の茂木健一郎が

こんなことを書いていました。

「(オリンピック金メダリスト清水宏保は)小児喘息のために、

いつも自分の体の状況を気にしていて、頭の中で身体の隅々に

神経を張り巡らせてきたそうです。たとえばある部屋に入ると、

調子がおかしくなりそうだな、と分かる。そのような時に、

身体の隅々にまで神経を行き届かせ、コントロールする術を

身につけたからこそ、金メダルも取れた、と。」

つまりぼくの仮説ははずれていなかった。

特にそうしたことを感じてきたのは、

使ってきた薬をやめたときです。

薬を使わず、自らの力によって、発作をできるだけ出ないように

しなくてはならないために、神経が過敏になったわけです。

ぼくは、クローゼットをあけただけで、発作になりました。

防虫剤のムシューダにやられたのです。ムシューダだから

無臭なのですが、成分は揮発しているのです。だから、虫を

防ぐことができるわけです。

臭いのある防虫剤より、臭いはないけどムシューダの方が

ぼくにはきつく感じられ、発作を誘発した。

そんなこと、気づいたのも、薬をやめたからなんですね。

(そのときは、やめてから、何日もたっていましたが)

ここで言いたいのは、薬が感覚をにぶらせるということよりも、

喘息などの病というものが、思わぬ利点を生み出す

ということです。

物事には必ず表もあれば裏もあります。

欠点と長所は裏腹です。

せっかく、その病気を得たのですから、その苦しみなどの

マイナス面ばかりを見るのではなく、その裏側も

のぞいてみると、思わぬ自己を発見できるかもしれません。

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Comments

すごく、わかる気がします。
わたしは妊娠中つわりがすごくひどくって、
ものすごく匂いに敏感になっていたことがあるんです。
自分としては犬並みになっていた気がするくらいです〜。
これは不思議な世界でした。
化学調味料のなかでも、松茸の匂いが最悪でした(@@;
硬水は鉱物っぽい匂いがしました。
だんなが昼に食べたものを当てることもできました(笑)
ムシューダの匂いも、あの時ならかげたかもしれません。
匂いだけでもはいてしまうので、いつもマスクをしてました。

わたしは匂いだけでしたけど、これが全身の感覚だったら、
普通の人をはるかに超えたとしても、不思議はないと思います〜。

Posted by: こぞう | July 05, 2006 at 02:25 AM

こぞうさん

いいお話をありがとうございます。

「犬並み」?、これはハンパじゃないですね。

「化学調味料のなかでも、松茸の匂いが最悪でした(@@;」

これについて、松茸じゃないですけど、中華料理の話をしたいのですが、ネタがなくなっちゃうので、こんど記事で書きます。

「わたしは匂いだけでしたけど、これが全身の感覚だったら、
普通の人をはるかに超えたとしても、不思議はないと思います〜。」

ほんとうは、みんな、本来、そういう感覚をもってるのかもしれませんね。感覚がまひしてるのかもしれません。そうじゃないとこの現代じゃ生きられないのかもしれませんね。

Posted by: モモタロウ | July 05, 2006 at 09:57 AM

モモタロウさん、復活されていたのですね~。
あいかわらず興味深い文章がいっぱいでうれしい!

同じく、私も犬並みの嗅覚です。お世話になってる東洋医学の先生曰く
私は体の反応が動物に近いらしいです。ダメなものには絶対近づかない。
アトピーが酷かった時は全身の感覚がとても敏感だったので、
物質ごとの温度差とか、生体のパワーの違いとか面白いものを感じてました。
今はよくなったので、そんな感覚もなくなってしまって少し残念。

敏感だから反応するのか、反応するからより敏感になってしまうのか
そのあたりはよくわからないけど、人間ってできないことがあると
何かでカバーするようにできてるんですよね。

昔の人はきっと、今より感覚が敏感だったんですよ。
文明が発達すればするほど、ますます鈍くなる気がします。

Posted by: mayu | July 05, 2006 at 03:18 PM

mayuさん
ありがとうございます。
実は、「キビダンゴをあげる!」復活後、
お知らせしようと、何度か
「ゆるっと。しゃきっと。」に訪問したのですが、
デザインがかわっているし、コメント増えているし、
なんとなく臆してしまい、今度、と思っていました。

「物質ごとの温度差とか、生体のパワーの違いとか面白いものを感じてました。」
すごいですね。
今はもうないということですが、過去に感じた記憶が残っているわけで、今後も、その記憶はなんらかの形で役立つのかもしれませんね。

「昔の人はきっと、今より感覚が敏感だったんですよ。
文明が発達すればするほど、ますます鈍くなる気がします。」

記事に書いた清水選手も同じようなこと言っています。アスリートが自分を磨き、鋭敏な神経を磨いていくのは、たとえば原始の時代とか昔の人に戻ることだって。確か、そんなこと本で読みました。

アレルギーとかいろんな病気の人が敏感だというのは、もしかしたら、むしろ正常なのかもしれないという見方もできるのですね。
「私は体の反応が動物に近いらしいです。」
そもそも人間は動物ですものね。

Posted by: モモタロウ | July 05, 2006 at 08:43 PM

病の利点・・・・・・病とともに生きている人、そしてそこから発信している人にはかなわない、といつも思います。生きている中でのその深みのところ、表には見えない本当のところ・・・・・・。医療者や人の健康に携わる人は、もっともっとその発信されたことから学ぶ必要があると思います。そうしたら、少しずついろいろなことが変わっていきそうな気がします。だから、よろしくお願いします、なんて人に頼っていてはダメですよね。

Posted by: ママのスペース | July 06, 2006 at 01:25 PM

ありがとうございます。
患者というのは結局、自分1人の体と心を見つめるしかできません。でも、医療者(医師や代替医療者)は、さまざまな患者を診ることできます。ただ、その見方が、浅いか深いかということはあるのですが。
 自分も患者であった遠藤周作さんは「1人の患者の病いと立ち向かうということは、その魂にまで手をつっこむことでもあります。その意味で医者の仕事は、小説家の仕事や信者の告解をきく神父の仕事とも、共通する部分がある」
 そういう意味で、お母さん方を日々癒しているママのスペースさんのような方も含めて、医療者・代替医療者の方々はうらやましいと思っています。いろんな患者から学ぶことができ、その分、自分が人間的成長ができるのですから。
 周作さんの妻、順子さんは、夫のさきほどの言葉を紹介した上で、「患者は『人間とは』ということを教えてくれる師でもあるわけです」と書いています。
 やはり、おっしゃるとおり、患者として医療者から学ぶことばかりを考えがちですが、お互いに手を携えて学びあいながら、医療の進歩と同時に、人間の成長をとげていくべきなのかもしれませんね。

Posted by: モモタロウ | July 06, 2006 at 10:18 PM

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