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August 31, 2006

たまには、空を見あげてごらん

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たまにゃ、空を見あげてごらんよ!

俺たちゃ、なにやってるんだ…

と馬鹿馬鹿しくなれるからさ。

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体が弱い人には弱い人なりの生き方がある

私は体が弱いですからね。だから、若いときから、どうやって生きていくかということに命を懸けてきました。― 坂村真民(詩人)

体が強い人が仕事などいろいろなことにエネルギーを費やせるのと違って、体が弱い人は、とにかく生き抜くということだけで精一杯。エネルギーのかけどころをそこに集約せざるを得ないのです・・・。でも、だからこそ、真民さんのような人に生きる力を与えるような詩を書けるようになったのですね。

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August 30, 2006

苦しみが飛んでいく魔法のクスリ

人能(よ)く無事の時に於いて、常に病の想を作(いた)さば、一切名利の心、自然に掃い去らん。「酔古堂剣掃」

平穏無事のとき、自分が病で一番苦しかったときのことを思い出せば、変な欲を出さずにすむということでしょうか?

とかく人間は名声や欲望にとらわれてしまう。

平常心を保つ一つの工夫なんでしょうね。

それに、病の苦しみを思い出すことの効用は、

病で一番苦しんでいたときと比べれば、

日常のちょっとした苦労・困難もたいしたことではないと思えること。

だから、今、体や心の病で死ぬほど苦しんでいるあなた。

あなたは、今、「魔法のクスリ」を作っているのです!

日常のちょっとした苦しみを消し去ってしまうという魔法のクスリを。

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August 29, 2006

一体化してこそニュートラルになれる

若者とケンカ?

昨日、夕方、自転車を古本屋の前に止めようと

右折した。

そこで、後ろから来た自転車がぶつかりそうに

なり、よけたようだ。

というのも、自分では考え事をしていたので

あまり意識していなかったのだ。

すると、その自転車に乗った2人連れのニイチャンの

うちの1人がおよそ10メートル先から

こちらをにらんでいる。

髪型や服装からいっても、いかにも悪そうな、

遊んでいそうな20歳前後の若者。

こちらも、日ごろから多くの若者の行状に

腹が立っているから、

負けてられぬと、立ち止まってにらみ返してやった。

そしたら、向こうは、自分の自転車を「バタン」と投げ捨て、

「なんだ、てめえ・・・この野郎」

といきがりながら、こちらに向かってきた。

そのとき、咄嗟に覚悟をした。

こちらは、40歳を超えていて、4年間以上、

療養生活をしてきて、ほとんど体を鍛えていない。

かなわないだろう。相手は2人。こちらは1人。

でも、いざというときは、

命を捨てても戦ってやろう。それだけのこと・・・

(その後、妻にそのことを言ったら、

「私たち(子ども2人と妻)を残して死んでもいいというの!」

怒られたが・・・)

一触即発。しかし・・・

目の前で、にらみあった。身長も、あちらの方が

10センチ以上は高いだろう。

こちらが、向こうを見上げる体勢。

ニイチャンは「おめえが曲がってきたから、

ぶつかりそうになったじゃねえか。」と怒鳴る、

一触即発の状態。

公道だから通りすがりの人たちは見ていたろう。

でも、だれも、止めようとする人はいない。

しかし、ふと、ニイチャンの瞳(ひとみ)を見て、

とても、きれいな目をしているなあ、と気づいてしまった。

顔と顔をつき合わせて、にらみ合っていたのだから

間違いはない。

そこで初めて、あそこで、右折した自分がまずは悪かった

のだと心のそこから気づいた。

ときどきあるのだが、考え事すると、

ふと自分の世界に入ってしまうことがある。

そういう状態だったのだ。

ただ、相手も悪いことは悪い。だから、

「おめえ、すぐ、あやまらなかったじゃねえか」

というので、

「あそこで、周囲を見ずに、曲がったことは俺が悪かったよ。

あやまるよ。ただ、年上にその口のききかたは何だ!

年上をにらんだりして、年上に対する態度か。失礼ではないか!」

と言った。

すると、ニイチャンは敬語で、しかし激しい口調で、

「それ(年上に対して失礼な態度とったこと)

に対しては謝りますよ。

でも、最初に、そこで曲がったのは、そちらの方じゃないですか」

と言った。

しばらくにらみ合って、ニイチャンは、

連れといっしょに背中を向けて去って言った

その背中に、ぼくは、「悪かったな」と一言、投げかけた。

向こうは、反応を示さず、肩をいからせたまま去った。

アメリカの同志から思わぬ電話・・・

その後、夜、日ごろはワシントンにいる“同志”から、数年ぶりに

電話がかかってきた。日本へ里帰りしていたのだ。

ぼくがアメリカの一部の戦争好きな勢力が世界を支配しようとしているのは

本当であるのかとふると、

「対立」に関する話になった。

彼は「ぼくたちは、小さい頃からなんでも、対立してみる

習慣をつけられている」といって、

自分が、心を「対立」から、世界は1つなんだ、

だから相手と自分はほんとうは一体なんだと「一体化」の心へと変えたことで、

あるプロジェクトが、想像できないほどに、

すばらしい仕上がりとなった。

という話をしてくれた。

彼は日本人であるが、ユダヤ人とかイスラム(アラブ)人とか

の輪の中で、もまれながら仕事をするという

環境にいる。

そこで、「対立」だから、夕方にあった「若者との一触即発」の

話をした。すると、彼は、

「間近で目と目があった瞬間に、五感で何かを感じて

一体化したんだろうね」

つまり、ぼくが若者の目を見て「きれいな目だな」と反省心が

起こったように、彼曰く、ぼくの目を見て(自分の目はきれいだとは

決して思わないが)若者も何かを感じたのだろう。それで、

2人は、「一体化してニュートラルになったんだよ」。

閉鎖した楽天ブログでも・・・

一体化して、はじめてニュートラルになれる、スタートが切れる・・・。

そういやあ、若者に対して、最初から偏見の目、「対立」の目で

見てたんだよなあ・・・。またまた、そこで反省。

 前の晩、閉鎖した楽天ブログも(ココログもそうだが、とくに)

特定の誰かを批判していなくても、

「『対立の心』、はじめにありき」で書いていたこと多かったよな。

それが、あったからこそ、自分の文で人を傷つけることもあったろうな。

ひとつの楽天閉鎖の理由であった部分を、

自分の中でより明確にすることができた、

この一連の出来事は、そういった意味があったのかもしれない・・・、

と解釈した。

とにかく、反省反省の一日の締めくくりだった。      (END)

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August 27, 2006

薬を飲んだら感謝する

確かに、体によくないものを摂るのは

よくないと思います。

特に、西洋医学の薬などは化学物質であり、

からだには本来、入れるべきではない異物です。

でも、現代社会において、やむなく飲まなければ

ならない人はいっぱいいるわけです。

だからこそ、できるだけ摂らないようにすることを

して、やむなく飲まなければならない場合は、

つきなみですが、感謝をして飲む。

ただ、化学物質である薬に感謝するよりも、

そういった入れるべきでない異物を入れても

頑張って機能してくれている“自分の体”に

感謝するといい。ぼくは、そう思っています。

他のたとえば嗜好品などでもそうです。

体にむかって「ありがとう」と心の中で念ずる、

もしくは、直接に声をかけるのです

すると、体はもっとがんばって、

浄化力(異物を体外に出す作用)を

もっと発揮してくれるでしょう。

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August 26, 2006

生命を害わないために日本人には日本人にあった生き方がある

「コラムDEキビダンゴ」を上記のタイトルで

書き換えました。

地球上には、北極から南極までさまざまな気候・自然がある。

そして、その気候・自然にあった生き方がある。

冷房・暖房で、日本の四季をなくしてしまうなんて、

もっとも、日本人の体にも心にもよくない生き方だと思います。

 

※8月27日(日)に「コラムDEキビダンゴ!」都合で閉鎖しましたので、

 下記に記させていただきます。

生命を害わないために日本人には日本人にあった生き方がある

(1)原住民の文化に無闇に西洋医学を入れると、村そのものが崩壊する

アマゾンの原住民の中では、いまだシャーマンが祈祷で病を癒している部落もあるそうです。

それで、実際に、多くの病が治ってしまっている。昔からそうやってきたのです。

それが、西洋医学の医師が無闇に、その部落で治療をしてしまうと、

シャーマンによる治療がきかなくなってしまう。そして、みんな、そちらに行ってしまう。西洋医学の治療の方が即効性がありますから・・・。

そして、シャーマンによる治療が効かなくなるだけではなく、その部落全体、文化そのものが崩壊してしまうそうです。求心力を失ってしまうせいでしょう。

(2)自分たちの価値観を押し付ける欧米人たち

だから、心ある医師は、慎重にその部落に西洋の医療を取り入れるそうです。たとえば、シャーマンによる治療が苦手な病とか、命が今にも危ない人だけを助けるとか。

ところが、西洋医学を無闇におしつけるばかりか、森を破壊し、畑にするなど開発して部落そのものを無くしてしまう人たちがいるのです。その欧米人は、そんなジャングルの部落にすまなくったって、われわれと共に都会に出ればいいだろうといいます。つまり、西欧人の価値観の中で生きるべきだというのです。

(3)原住民たちには、親子の殺し合いなどない

西欧文明の方が正しい、アマゾンの一部落の文化の方が間違っているなんて、誰がいえるでしょうか。神と交信し、ジャングルに死者がいる、動物たちと会話を交わしている原住民がいて、それらは真実ではないと誰がいえるのでしょうか。NASAが開発している宇宙こそがほんとうだなんて、誰がいえますか?その証拠に、欧米では親子が殺しあったり、人間同士の残酷極まりない、アマゾンの部落では信じられないような殺戮が行われている。

(4)戦後アメリカの食文化を押し付けられた日本人

「身土不二」という考え方があります。人間はその土地で採れたその土地の食べ物を食べるべきだというものです。現に、そういう食事に戻すことによって、ガンなどの病を治した日本人はたくさんいます。私は、「身土不二」は真理だと思います。自然に則っているからです。ところが、戦後、小麦が余っていたアメリカは、敗戦国の日本にパン食を強引に押し付けたのです。米食の日本人にパン食を普及させることによって、余っていた小麦の在庫をはけさせるとともに、莫大な利益をあげるためです。

パン食を中心とした欧米の食文化を、日本人は自分たちの体質に合わないのに押し付けられ、その結果、アレルギーなどさまざまな病気が引き起こされたという医療者は、何人もいます。

(5)“生命”を守るために、あらゆる文化を取り戻さなくてはならない

食とは文化です。食文化はその民族の根幹にあるものであり、その土地の気候風土(自然)にあった食べ物があるのです。今、意識して日本本来の、その土地ならではの食を取り戻さなくてはなりません。

それは、食べ物ばかりではありません。日本のあらゆる文化にいえることです。すべて戻すことは不可能です。現実的ではないでしょう。食べ物がそうであるように、もう一度、“生命”という視点に立って、われわれの生活を見直してみましょう。

“生命を損なわない”“生命を保つ”“生命を生かす”ために、その民族が暮らす気候風土にあった、その土地に生まれた民族にはその民族にあった“生き方”というのがあってしかるべきなのです。

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地下鉄で妊婦のヌードを見せられて迷惑の人もいる

そもそもヌードの写真を公共の場で見せるのがいいものなのか?

しかも、妊婦である。

若い頃から、激しい性欲の衝動に悩んできた男性の1人として、正直に

心配する。

歪んだ現代人の性の対象が、幼児から、さらに、妊婦―胎児にまで及ぶのではないかと。

「黒塗り」一転、OKに=地下鉄駅に妊婦ヌード広告-東京メトロ(時事通信) 妊娠中の米国の人気歌手ブリトニー・スピアーズさん(24)のヌード写真を使った広告が、地下鉄の東京メトロ表参道駅(東京都港区)に登場することになった。メトロは当初、「裸体は駄目」と雑誌側に修正を求め、下半身を黒いシールで隠す予定だったが、24日に方針転換。「直接的な性描写ではない」と原案通りの掲示を認めた。問題になったのは月刊ファッション誌「ハーパース・バザー日本版」(エイチビー・ジャパン)の10月号。表紙の写真では、笑顔のスピアーズさんが胸の前で腕を組み、妊娠6カ月のおなかを見せている。米国の本誌でも表紙に使われた。

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August 24, 2006

地球を健康にすることで自分も健康になる

地球も1つの生命体である限り、

自然治癒力といっていいものが備わっている

のではないでしょうか。

そして、1人1人の人間はその中の一部です。

だから、地球を健康―健全な姿にすることは、

1人1人の自然治癒力を高めることにも

つながり、1人1人の健康を増進させると

考えます。

地球を健全の姿にするとは、一面からみれば、

オゾン層を破壊しない、

二酸化炭素を増やさない、

森林を伐採しない、・・・

そういった地球環境を保全するということでも

あるのでしょうが、

もう一方からみれば、

人類から「病貧争(びょうひんそう)」をなくす、

もしくは激減させるということであると思います。

「病」とは「心と体の病(やまい)」であり、

「貧」とは「貧困、貧乏」であり、

「争」とは「戦争、その他あらゆる争い」です。

たとえば、南北問題における「南」の国々をみてみれば

「貧」の地域には必ず「環境破壊」があるでしょう。

そして、さらにそこには「病」があり、「争」がある。

だから、地球を健康にする(健全にする)とは、

地球環境を守ることであり、

また、人類から「病貧争」をなくすことです。

そうなってこそ、個人個人が真に健康になれる。

とっても迂遠なことのようですが、それは案外近道かも

しれません。

いや、個人が真の健康をうるために通らざるをえない

道なのかもしれません。

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August 23, 2006

養生 7つの要諦

ホリスティック医学の第一人者、帯津良一医師が

以前、中国で見つけた、

天津中医学院編の『祝悠健康長寿』という本。

そこには、以下の三・七・二十一文字が

養生の要諦と出ているそうです。

  勤運動(運動にいそしむ)

 練気功(気功を練習する)

 節飲食(食事を節する)

 暢情志 (心をのびやかにする)

 慎起居(正しい日常生活)

 適環境(環境に適する)

 補薬物(薬で補う)

『あるがままに生き 死を見つめる 7つの教え』

(帯津良一著 講談社)には、

この1つ1つの内容が書かれているのですが、

この7つの言葉だけでも参考になります。

よく健康のためには

「食事」「運動」「休息」といいますが、

この7つを実践した方が、

より完全なる健康に近づけそうな気がしてきます。

ただ、「補薬物」はあくまでも「補う」であり、

とくに西洋医学の薬は「非常事態」の時だけで

あるべきと思いますが・・・。

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August 22, 2006

人生に9回の逆転満塁本塁打はない

これは夏の甲子園を優勝した早実のエース、

斎藤佑樹のお父さんの言葉。

人生に9回の逆転満塁本塁打はない

と野球にたとえて、息子に「日々の努力の大切さ」を

伝えてきたそうです。

 斎藤一家の教育方針は「文武両道」で、その教えに従い

進学校でもある早実に進んだそうです。

 お父さんは、野球だけではだめ、人間として大きくなってほしい。

という願いをもっているとか。

(以上、日刊スポーツ2006.8.22.より)

 親元を離れ、斎藤佑樹は、大学生のお兄さんと都内で

暮らしています。お兄さんは、その弟、佑樹に毎日、食事を作って

あげているそうです。

 やはり、親の教育がよかったのでしょうね。

斎藤家がどういう教育をしてきたか、もっと知りたくなります。

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August 21, 2006

混合診療になるのを米保険が狙っている!

 構造改革を推進していく中で、

日本の医療への「市場原理」の導入が

検討されています。

それが、保険外診療であるさまざまな代替医療と

保険診療を組み合わせて

治療をすることを可能にする「混合診療」です。

患者にとっては、とても便利なようであっても、

注意してその議論の行く末を見ていなければならないようです。

 「ソ連解体」「日本のバブル崩壊」など

次々と予測を当てている

インドの経済学者、ラビ・バトラ氏は

郵政民営化の裏にはアメリカの圧力があった。

とくに、アメリカの保険業界が熱心だったことを書いた上で、

こう記述しています。

むろん、米保険業界の野望はこんなものではない。簡保の次のターゲットは、日本の健康保険分野だという。日本の医療に大幅な混合診療を認めさせ、保険外診療のほうに高度医療を担わせる。治療費は高額になるが、それを民間保険の対象にして米保険業界が一手に扱う―そんな構図が見えてくる。新しい保険市場の創出だ。『ラビ・バトラ緊急予告 日本国破産のシナリオ』(あ・うん刊)P.53より

 アメリカでは民間の保険に入っているか否かで、

受けられる医療の質がまったく違ってしまうようです。

つまり、保険にも入れないお金のない人は、

医療機関や治療法の選択が大幅に狭まってしまうのです。

アメリカの医療のあり方をそのまま日本にもってきたら

大変なことになってしまうでしょう。

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「建設」へ想念を合わせる

今まで言っていることと矛盾するようでありますが、

ぼくは、世界は全体としていい方向に行っているのだと思います。

ただ、その前に「破壊」がある。

そして、現に、さまざまな心と体の病が増えていたり、

温暖化などの環境破壊、戦争、・・・など、

世界中で「破壊」は起こっているわけです。

一方で、日本だけを見たとしても、「建設的」な方向での

いい芽もたくさん生まれ、育てられていっています。

 だから、ぼくたちに必要なのは、「建設」の方へ

波長を合わせることであると思います。

それは、「愛」であり「調和」であり、「共存」であり、「感謝」、・・・

そういった“想念”なのではないでしょうか。

 それがきっと、自分や家族、子孫が生き残る道であるとぼくは信じています。

こうして、自分が波長を合わせ、「建設のリズム」で生きるとともに、

そうであればこそ、「破壊的」な方向へ流れしまっている人々を

「建設的」な方へ導く、もしくは気づいてもらう、

といったことをするべきなのではないか。

それこそが、「建設的なリズム」で生きるということであるのではないか。

そう思う今日この頃です。

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August 18, 2006

個人の健康を守るため地球を健康に!

 ぼくはずっと個人主義でいますが、

やはり個人だけでは片付かない問題がある。

 健康についても、「自分の健康は自分で守る」

それが大前提でしょう。

今まで、日本人は、それを医者に頼りすぎてきた。

これからはセルフケアの時代です。

個人個人がしっかりとしなければならないのです。

 しかし、こと健康に関していえば、とくに、

それでは済まされなくなってしまった。

つまり、人間の体は外部とつながっているわけです。

空気とか、物質とか、さまざまな見えない電磁波のようなものとか、

に囲まれていきています。

食べ物にしても、外部からもたらされるものなのです。

ようするに、人間個人は、やはり地球の一部なのです。

個人が単独で存在することはありえない。

だから、地球が汚れれば必ず個人個人も汚れる。

たとえば、プールなどの水に自分が浸かっている姿を

想像してみましょう。その水が汚れていて、自分のところに

こないように、一生懸命に水を押しやっても必ず、自分のところに

きてしまうわけです。

 それと、同じように、無農薬にする、添加物なしの食べ物、

電磁波をカット、空気清浄機で部屋の空気をきれいにする、

できるだけシックハウスのないウッディーな室内に生活する

など、いくらやっても、周囲が、すなわち地球全体が汚れていたのでは、

自分も家族も、その量は減らせても、必ず少しは汚れるのですよ。

しかも、自分の汚れを押しのければいいということではなく、

自分が押しのけた分、もしかしたら、

ほかの人々がますます汚れてしまうのかもしれない。

自分だけいいというのも、実に、都合のいい考えであり、

実際、自分だけいい状態はつづかないでしょう。

周囲が汚れれば汚れるほど、必ず、その汚れは

自分に押し寄せてくるのですから。

 だから、これからは、「自分の心と体は自分で守る」ととともに、

「地球全体をみんなできれいにしていこう、健康にしていこう」

という意識、両方が大切だと思うのです。

 そうじゃなければ、自分の最上の健康状態にはなりえない

わけですから。

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August 17, 2006

コーヒーという餌付け

私もコーヒー大好きだから、あえていうのですが、

日ごろ、たとえば、朝、何気なく飲んでいるコーヒー

というものも、ぼくたちは、コーヒーと言う「餌付け」を

されてしまったということでもあるのです。

コーヒーを飲む人がいるということは、コーヒーを売る人がいる、

コーヒー豆をつくる人がいる。

コーヒー豆というのは、南米とか、東南アジアとかアフリカとか

熱い国で栽培されます。

そもそも、その国々は、欧米人が植民地化し、熱帯雨林などを

切り開いて、コーヒー畑を無理矢理つくらせ、

そこで地元の原住民などを

安く働かせて、栽培しているものなのです。

そして、そのコーヒーを売るために、日本などコーヒーを飲む

習慣のなかった国々を餌付けして、飲む習慣をつけさせて、

もっと直裁的な表現をすれば、「コーヒー中毒」して飲まずには

いられない状態にして、自分たちの商品を売りさばいているのです。

それが、そもそもの発端なのでしょう。

コーヒーという商品を売りさばくために、

われわれはコーヒー中毒にさせられて、

根本的な健康を失ったりしているわけです。

コーヒーというのは、体冷やしますからね。

熱帯しか育たないわけですから、本来は熱帯地方の

人々が飲む飲み物なのでしょう。

たとえば、ガンとすべて結びつけるわけではないですが、

ガンの人はガンになったとき、35度代とか低体温の人が

多いわけです。

コーヒーがすべてでは当然ないでしょうが、

コーヒーを常飲することによって体が冷やされ

低体温の一つの原因になり、ガンを誘発している

かもしれないのです。ぼく自身は、そういうケースは

因果関係が解明されていなくても、たくさんあるだろうと思います。

 それを日本など熱帯ではない多くの国々の人が毎日飲まないと

いられないようになってしまっている。

ぼくもその一人なのです。

実は、多発性のう胞腎には、飲食物の中で

コーヒーが一番よくないということが言われている

それなのにやめられないわけです。

せめて、飲む量を減らそうとしてますが、

なにかの拍子に、たとえば仕事がはかどらないときとか、

2、3杯飲んでしまったりするわけです。

もう、「餌付け」されてしまっていますから、

なかなかやめられない。

ストレスなどで心が弱っているときに、その隙間に

入ってきてしまう(笑)。

だいたい、街にでれば、コーヒーショップばかりでしょう。

そこで、打ち合わせをしたり、待ちあわせまでの時間

をつぶしたりするわけです。

メニューには紅茶などもありますが、それだって決して

体にいいわけではない。50歩100歩なわけです。

そういうこともあって、コーヒーをやめるということは

非常な意志力がいる。

世の中、意志の強い人ばかりじゃないでしょう。

しかも、本来日本人なら日本人が飲食すべきではない

食べ物は、コーヒー以外にも社会にあふれている。

おそらくそういった意志というのはよほど強くなくては

だめで、その意志をまっとうできる人は少ないのではないでしょうか。

だいたい、そういうったものが、体にあまりよくないということさえ、

多くの人があまり知らされていないわけですから。

たとえば、学校で勉強するなどして。

だから、個人が断つ、少しでも摂らないようにするということも

大切ですが、社会全体が、ちょっとおかしいぞと、

「ぼくらは餌付けされているんじゃないか?」とか

立ち止まって考えなければならないのではないか。

体によくないもので、どんなに魅力あるものでも、

目の前にないならば、食べられないわけですから。

1つ1つ、立ち止まって考えていきましょうよ。

与えられたものをただ、受け入れるだけではなくて、

自分の頭と体と心で考えて・・・。

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1人1人が生き方を見直さないと日本人も人類ももうすぐ滅びてしまうかもしれない

うつ病が増え、自殺者がいっぱい、

ガンで死ぬ人がたくさんいて、

私もぜんそくもちですが、

アトピーなどアレルギーで苦しむ人々はやまほど、

そして、パーキンソン病やクローン病などの難病も

増えているのです(私も多発性のう胞腎という難病もちです)。

難病とは、めったにならないから難病なのでしょうが、

それが誰もが身近な人で思い当たる難病の人がいるくらい

増えているのではないですか?

そして、これらのことは、明らかに、

現代社会と現代人の生き方が間違っているということを示していることに

他ならないのではないでしょうか。

生活習慣病といいますが、生活習慣といえば、

運動、休息、食事程度しかイメージしにくいのですが、

もう、そんなものは超えている。それだけの問題ではありません。

もっと根本的な社会のあり方とかそこにおける生き方とか

考え方とか、間違っているから、こうなってしまって

いるのでしょう。

生き方とは、価値観でもあるでしょう。

多くの現代人が、今やっていること(仕事も生活も・・・)

1回、放棄してしまって見直す、新しい価値観のもとに

生き、新しい世界をつくっていかなければ、

もう今の状態から抜け出すことは難しいでしょう。

たとえば、外食したらサラダをつけるとか、

安眠まくらを使って睡眠に気をつけるとか、

朝ウォーキングをするとか

そういうことも大切かもしれませんが、

そんな枝葉末節ではない、1人1人が、もっと根本的に、

生き方を変えなければ・・・。

それは長年勤めている会社を

パッとやめてしまうぐらいの大変勇気いることかもしれませんが、

それをしなければ、

もう、個人もどんどん死んでいくし、

死ななくても非常につらい人生を送らねばならないし、

日本人も人類も滅びてしまうと思います。

このままだと・・・。流れを思い切って変えなければ・・・。

地球環境も地球も1つの生命体ですから、

人間も地球も「やばい」状態にあるのは、

あたりまえですが、

切所にきていますよ。どう見ても。

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August 15, 2006

どこがいけないのだろう・・・

以下は、なんであるかご存知ですか?

一、 【孝行】親孝行をしましょう。
二、 【友愛】兄弟姉妹は仲よくしましょう。
三、 【夫婦の和】夫婦はいつも伸睦まじくしましょう。
四、 【朋友の信】友だちはお互いに信じ合ってつきあいましょう。
五、 【謙遜】自分の行動・言動を慎みましょう。
六、 【博愛】全ての人を愛し、助けの手を差し伸べましょう。
七、 【修学習業】勉学に励み、職業を身につけましょう。
八、 【知能啓発】知識・教養を身につけ、才能を伸ばしましょう。
九、 【徳器成就】人徳を高め、人格を高めましょう。
十、 【公益世努】社会や公共のために貢献しましょう。
十一、【遵法】法律や規則を守りましょう。
十二、【義勇】正しい勇気をもって、国のために尽くしましょう。

これはぼくも知らなかったのですが「教育勅語」の「12の徳目」です。

(「船井幸雄のいま知らせたいこと」より)

ぼくは、心よりすばらしいと思います。

これを読む限りは、

イメージにある「軍国主義」でも「男尊女卑」でもありません。

どこがいけないのでしょうか?

「親孝行」を一番前にもっていっているところなど、

心より共感します。

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健康の目的を変えたい!

他人に自分が「いきいき」しているのを

見せつけるために

「健康」になるのではなく、

他者のために、自分以外の何者かのために、

「健康でいきいき!」になろうとする方が、

もっと「健康」になれて「いきいき」

できるのではないでしょうか。・・・自戒です。

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世界に貢献できる日本人を育てるべき―終戦記念日に願う・・・

国のために、戦場に行った多くの日本人が自ら犠牲に

なっていきました。

そういった「おおやけ」のために、命を捨てるほどに尽くすことができる。

これは、日本人の昔からの美徳です。

その「おおやけ(公)」が、江戸時代は「藩」であり、「家」であり、

明治から太平洋戦争までが国家であり、

戦後が「企業」などの組織だったのです。

そして、21世紀これからの日本人は、

その「おおやけに尽くす」という特性を、

世界のため人類のため地球のために用いるべきです。

また、そういった視野をもって、日々を生きるべきなのでは

ないでしょうか。

お母さんにしても、お父さんにしても、

子どもにそういうことを教えて育てるとか、

自分や会社の利益を追求するだけでなく

世界のためという視野をもちながら仕事をするとか、・・・。

自分や自分の家族、自分の会社、自分の国を大切にするのは当たり前。

それを飛び越えて、「世界」という、

現在の世界ではこれ以上大きいものはありえない「おおやけ」の

ために尽くす日本人になってこそ、

日本人はほんとうに幸せになれるのだと信じています。

日本という民族が永久に安泰でいられ、真に繁栄する道は

きっと、そこにしかありません。

国家間の経済競争で勝つことでも、

軍事力を他国よりも増強させることでは決してありません。

他人に与えてこそ、与えられるというのは、

個人だけでなく民族にもあてはまる真理のはずです。

世界に貢献できる日本人を育てる、

世界に貢献できる日本人に育つ

―それこそが、今、日本人がやらねばならないことです。

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August 14, 2006

うつ病の人が死んだ・・・

先月、妻の親友のだんなさんが、死んでしまった。

34,5歳で、2歳の娘がいる。

一流企業に勤めていたが、1,2年前より

うつ病がひどくなり、数ヶ月前までは

入院していた。退院後も、人身事故を起こしたり

いろいろあったらしい。

奥さんも、疲れてしまい、娘とともに実家に帰った。

だんなさんも、母のいる実家に、一時、戻っていた。

結婚前は、父親が早くに亡くなっていたために、

母と2人暮らしが長かった。

だんなさんと奥さんは、しばらくぶりに会うこととなり、

2人が建てた一戸建ての新居で会う約束をしていた。

だんなさんが先に到着していた。

奥さんと娘さんは遅れていった。

すると、もうそこでは、

だんなさんは帰らぬ人となっていた。

自殺だったのか、病死なのか、死因はよくわからない。

ぼくは、生前、そのだんなさんと会ったことはなかった。

ただ、先日、四十九日になる前に、

妻と共に、自宅に線香を上げにいった。

その遺影を見て、だんなさんはここにいるなあ

と直感した。さぞや無念だっただろう。

写真の目が訴えかけているようだった。

いやがうえにも、うつ病というのは、大変な病気なんだという

ことを実感する。

亡くなった人意外にも、

ぼくの周囲には、うつ病の人はまだ何人もいる。

どういうことなんだろう。

どうして、こんなにも増えているのだろう。

現代社会において増えているということは、

その社会に欠陥があるためと

考えざるをえないのではないか・・・。

うつ病をたくさん出してしまう社会は、

どう見ても正常ではない。

それを、当たり前にしてしまったら、いけないのだ。

しかし、当たり前になりつつあるような

あきらめムードがすでに社会にはあるような気がする。

それを許してはならないのだ。

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August 10, 2006

病で苦しむ人々をこそたたえるべき

病というのは、ほんとうに悪いものなのでしょうか。

それは経済社会を至上のものとする

世界の中では、そのシステムの歯車になれない

という意味で、悪になるのかもしれません。

でも、たとえば、人間の成長という意味で

これほどまでに有効な経験は他にはないのでは

ないでしょうか。

そして、個人の成長に有効だということは、

社会みんなにも意義があるということでしょう。

なぜならば、社会の1人1人が成長するということは

社会全体が成長するということでもあるのですから。

だから、病をむやみに悪者にすべきではない

と思うのです。

今の社会がそうであるように、

寄ってたかって消そうとするのでなく

ときには、尊いものだとあがめてもいいのでは

ないかと思うのです。

病というものを尊重しないということは、

人間の成長を止めることにつながり、

つまりは、人間性というものの価値を

ないがしろにしているということになるのでは

ないでしょうか。

病に苦しむ人々をこそ、たとえ乗り越えられずに

苦しんだままの人であっても、

社会のために、その病を通して人間的成長を

している人だと、称えてもいいのではないか、

大病院の待合室に来ている大勢の病人を

思い出しながら、ふと、そんなことを考えました。

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August 06, 2006

100年後200年後の人類の病・・・

 今、私たちが生きている間には無理かもしれませんが、

100年後200年後には、人類皆が、

病になったとしても、風邪くらいのもので、

自然治癒力で治ってしまう、

重い病気には誰もならないという

世界を創っていかなければならないのでしょう。

 それがわかった上で、

現在は、その場限りの対症療法である、

西洋医学などを必要ならば使うべきでしょう。

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