体が弱い人には弱い人なりの生き方がある
私は体が弱いですからね。だから、若いときから、どうやって生きていくかということに命を懸けてきました。― 坂村真民(詩人)
体が強い人が仕事などいろいろなことにエネルギーを費やせるのと違って、体が弱い人は、とにかく生き抜くということだけで精一杯。エネルギーのかけどころをそこに集約せざるを得ないのです・・・。でも、だからこそ、真民さんのような人に生きる力を与えるような詩を書けるようになったのですね。
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Comments
ごめんなさいね、こんなとこへ返信して。
パンクラスもヒクソンを真似てヨーガの呼吸法を採りいれてるとは聞いていますが、何か足りないような。
ノゲイラやシウバなんてよくお祈りしてますよね。
昔のアリやフォアマンもそうだった。
日本人選手はパフォーマンスばかりで「信仰」がないような気がするんです。
日本の伝統だと武士道、ということになりそうですが禪と深いかかわりがある。
どうもうまく書けませんが、なにか日本人にもの足りない今日この頃でありまする。
Posted by: 梵くら 正史 | September 01, 2006 01:59 PM
「体が弱い」と言い切れるほどの弱さでもないんですが、
それでも一般レベルよりはかなり下だと思います。
でも、だからこそ見えてきた世界というのもあるわけで・・。
私なりの生き方をしていこうと思ってます。
Posted by: mayu | September 01, 2006 08:23 PM
梵くら 正史さん
するどいご指摘。
私も、今の日本の格闘家に物足りなさを感じていました。
それは、やはり唯物的なところです。“道”がないのです。
「信仰がない」とはズバリの表現ですね。
おっしゃるとおり、明治が最初でしょうが、
空手に関してそういった番組を作りましたが、
さらに、戦後、GHQによって日本の武道と言うものが、
骨抜きにされてしまったのです。
つまり単なるスポーツになってしまった。
今広く行われている日本の多くの武道とよばれるものが、
ぼくには“抜け殻”に思えてしかたがないのです。
Posted by: モモタロウ | September 03, 2006 08:39 PM
mayuさん
ぼくも、真民さんほど弱くはないかもしれないし、
今は時代が違うせいかもしれません。一応、医療によって
対症療法はできますからね。
でも、一時、あえて自分で決めてまったくクスリを使わなかったとき、ほんとう生きていくだけでやっとという感じでした。
「でも、だからこそ見えてきた世界というのもあるわけで・・。」
私も病のおかげで見えてきた世界があるのですが、その見えてきた世界というものが、とっても重要なのではないかと最近とみに感じています。ただ健康で普通に働いていたら、その生きている世界のおかしさとか、生命の姿とか、まったく見えないのではないでしょうか。
ある意味、西洋医学の対象療法もそういう役割―見えなくしてしまう、隠してしまう役割があると思います。
mayuさんやぼくなりの生き方というものが、また他の体の弱い人も、本人が思っている以上に、みんなにとっても大切なのだろうと思う今日このごろです。
Posted by: モモタロウ | September 03, 2006 08:48 PM