魂で考える
10代後半のころ、よく師匠から
「おまえは頭で考えている、心で考えろ!」
といわれた。最初は、意味がわからなかったが、その
努力を続けているうちに少しはできるように
なった気がする。
すると、自分でも、大脳皮質だけで書いているなと
いうこと、
また人の話も、口先だけで話している人は
だいぶ判別できるようになった。
今は、「心で考える」でも足りないと思っている。
「コロコロ変わるからココロ(心)だ」
という人がいる。ぼくも、同感である。
“心”をどこからどこまでととらえるかにも
よるが、“人の心”ほどあてにならないものはない
のではないか。
よほどの修行をして、立派になった人は別だが・・・。
だから「心考えるべきでなく、魂で考えるべきなのだ」と
思う。「魂」とは「心」のさらに奥にある永久な存在である。
苦しいことがあると、こっちへふらふら、
何か誘惑があると、あっちへとふらふらする
「心」という海面の深くで、静かに真珠を抱いているのが
「魂」なのだ。
肝心なのは、その「魂で考える」こと。
いや、「魂で考え」ようとした途端に、「頭で考えて」しまう
のではないか。
だから、「魂で考える」のではない。「魂でつかむ」のである。
いや、もっといえば「魂で生きる」のである。
The comments to this entry are closed.
Comments
午前中、来たときに、書き込みポチッとしたら・・・
メンテ中!!!!となぁ!!!!
で、吾のコメ、どっかにいっちまいましたん・・・とほほ・・・
そうそう、考えると言うのは脳の作業だから
魂で生きる!なのですなぁ^^
魂死んでたら、生きてないが・・・
いや、魂が死んだような虚ろな生涯はおくりたくないものでありまする
魂で生ききる!目標としまっす!
Posted by: 弥々 | October 03, 2006 01:26 PM
弥々さん
コメント、ありがとうございます。
肉体は滅びても永遠に残る魂という存在は
誰にでもあると信じているのですが、
あまりにも、その周りの心が曇って、
魂があってないような状態になってしまっている人が
現代は、多すぎるのでしょう。
目がトロンとした若者などまさにそうでしょう。
かくいう私も偉そうなこといえたものでなく、
コロコロかわる心にしばしば翻弄されてしまいます。
その根底には、弥々さんの朗読者への熱意
のような確固たるものが座っているはずですが、
くもった心に覆われて、魂が消されたように
なってしまうことがたびたびです。
まだ、自分の魂というものを本当にはつかんで、
いないのかもしれません。
ココログ、メンテナンス中、ということで
失礼があったようで、ごめんなさい。
ココログも調子(システム?)がコロコロ変わるのですよ。
名は体をあらわす。
ココログという名前をまず変えなければ、
いけないのかもしれませんね。
(もともと、プロバイダーがニフティ―だったということで
はじめたのがこちらだったので、
楽天とどちらかということであれば、
こちらにしたのですが、よかったのか。
―ニフティ―、がんばれ!
パソコン、まともに打てなくなりました。
修理にまた出します。
というわけで、その後に、またよろしくお願いします。
Posted by: モモタロウ | October 05, 2006 12:31 PM
モモさんもパソもゆっくり休めの時期ですなぁ^^
どんぞ、その間、秋の味覚なんぞ堪能されながら
読書にふけり、魂を磨いて
またブログ更新して下せーまし
復活、楽しみに待ちまする^^
Posted by: 弥々 | October 05, 2006 01:51 PM
弥々さん
こんにちは。
ご無沙汰していました。
一応、パソコンは直ったようなのですが、
しばらくは、
“心”も含めて、
パソコンのウォーミングアップするような
気持ちで、
ブログの更新を気が向いたらしたいと
思います。
軌道にのったら、またご訪問させて
いただきます。
Posted by: モモタロウ | October 17, 2006 11:42 AM