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November 30, 2006

他から促されるままでいいのか

私のこれまでの生活で、自分は気がすすまぬながらも、他からつよく促されて行ったことは、ほとんどつねによい結果をみたが、自分の発意で着手し、自分ではよいと思ったことは、一向によかったためしがない。    ヒルティ(哲学者、国際法の大家)

ニートになる人の多くが、自分で自分の人生を選択してこなかったという。たとえば、親から与えられたレールの上にだけのってきて、自分で自分の人生に責任を取ろうとはしなかった。

私もお恥ずかしい限りだが、人生の決断を大人になってまで人にまかせてきたという経歴があり、人から頼まれたこと、指示されたことを断るのが苦手という性格をいまだに持ち合わせている

「自分は気がすすまぬながらも、他からつよく促されて行ったこと」とは、この場合、ヒルティはキリスト教の信者だから「神から与えられた」ことであるが、私のような浅学の信仰浅き者からしてみれば、「与えられてやる」という意味では、ニートの場合もどちらも変わりなく思えてしまう。

私も、断れる断れないは抜きにしても、できるだけ与えられたことはやろうとしている。特に、偶然に偶然が二重三重と重なったときなどは、それを偶然ととらえず、「神から与えられた必然」としてやらねばならないという思いに駆られ、実行する。それはそれでいいのだ。

ただヒルティは「ほとんどつねによい結果をみたが、」と書いているが、私はなんともいえない。というよりか、それによって、いやな思いをしたりしたことも多かった。

その経験を分析してみると、「他からつよく促されて行った」ときはいいのだけど、それによって始まった事柄をやめるべきときがきても、だらだらとやめないでいたときに、いやな思いになったようにも思う。

他から与えられるがままに身をまかせていくこは、とくに何かに着手するときはそれでいい、むしろその方がいいのかもしれないが、それをやめるときは、自らの発意によって、決断してやめなくてはならないのではないか。

それを一言で表しているのが、河井継之助の

進むときは人任せ、退くときは自ら決せよ

という言葉である。

そんなことをふと思いつき、ここに書いてみた。

ただ、もしかしたら、退くタイミングというものも、神は教えてくれているのに本人が気がつかないだけということもあるかもしれない。

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水にのびる木

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November 29, 2006

それじゃ、おまえはなんなんだ?

日蓮宗のある信者の方に連れられて、

身延山にお参りに行ったことがあった。

そのお堂の中に、大きな像があり、

私はそれを日蓮かと思った。

そして、信者ではない自分は、

お参りをするときに、

心の中で、

「私は○○○○を尊敬するものです。

信じるものです」

といった自己紹介をした。

すると、

「○○○○は分かった。

それじゃ、おまえはなんなのだ?

何者なのだ?」

と問われたような気がした。

そのときの、衝撃はいまだに心から離れない。

意識のないはずの像から語りかけられたような

気がしたことが衝撃なのではない。

それは、ただ単に、自分の潜在意識の声なの

かもしれない。

その問いそのものに、

ガンと衝撃を受け、

心がえぐられたような気持ちになったのである。

「○○○○は分かった。

それじゃ、おまえはなんなのだ?

何者なのだ?」

「・・・・・・・・

・・・・・・・・

 ・・・・・・・・」

その後、私に語りかけたような気がした大きな像は

釈迦であるということがわかった。

ということは、その問いの意味は、

“天上天下唯我独尊”ということなのか、

“自燈明”ということなのか・・・。

まだ、よくはわからない。

ただ、その問いは、今でも忘れられない。

「それじゃ、

おまえはなんなのだ?

何者なのだ?」

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November 28, 2006

一本の道

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行く

一本の道を行く

一筋の道を行く

フラフラせず

グラグラせず

ウコサベンせず

まっしぐらに行く

挫折しても立ち上がり

また進んで行く

そのなかに

神の救いがあり

仏の導きがあり

思わぬ不思議が起きてくる

ああ

希望と愛と信仰に身を固め

一心乱さず自分の道を行く

           

坂村真民

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Happy birthday

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Happy birthday dear momona ………

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健康を学ぶのも自得が大事

此の学は己れの為にす。固より宜しく。自得を尚(たっと)ぶべし駁雑(ざっぱく)を以って粧飾(しょうしょく)と做(な)すこと勿れ。近時の学、殆ど謂わゆる他人の為に嫁衣装(かいしょう)を做すのみ。   佐藤一斎『言志耋録』

この聖人となろうとする学問は、自己の徳をなすためにするのだから、もとより自ら道を体得するを尊ぶのが宜しい。雑多な学問をして、外面を飾り立てるようなことをしてはいけない。近頃学問をする者は、殆ど学問をする真の精神を忘れて、他人のために、嫁入衣裳を作るようなことをしている。 

健康について学ぶのでもそうではないか。

  自分は病があって体が弱いから、それを裏返して、健康のことを専門にしようと思っていた。そうすると、経済的にもつながるのではないかと。

  しかし、どうも進まない。それは心に反していたからなのではないかと気づいた。

健康法とか医療とか学ぶのは、自分が健康になりたいから、自分の病気を治したいから、周囲の誰かのためになりたいから、または興味があるから・・・やるのであって、それを専門にして人に示す、商売にするのが目的であるべきでない。それは、結果そうなることなのだ。こうして結果的に専門になるのならいいだろう。専門をつくるのが第一の目的ではない。少なくとも、私は自分に対してそうした方がいいとおもう。

その健康法が自分や誰かに効果があるかないか、つまり『自得』しないならば、その知識はただのうすっぺらな知識になってしまう。そうやって試さないまでも、自分で学んで納得していかなければ、単なる大脳皮質の薄っぺらな知識になる。それは「人に見せる」しか意味がなくなる。

そうなると、自分の場合、何も健康だけに絞り込む必要はない。たとえば、哲学にだって文学にだって、直接、体のことは書かれていなくても、健康になるためのヒントはちりばめられている。東洋哲学などはまさに養生と切り離せない。自分の関心・興味、そして体や心の状態からせまっていけばいいのだ(便宜上、ブログでは、今、分けていますが)

今の段階において、もっとも得たいものは、「この世を自分の使命で生きる」ということであって、その状態は、たとえ病があったとしても、心も体も健康であるということである。別の表現をすれば、自分なりの生き方、考え方、健康法、死生観を持ち、生きている状態になりたいということである。

それは、完全なる人格、健康-高みに向かって着実に進んでいる状態といえよう。死ぬまでに達成できないかもしれない。ただ早く、それに向かっての軌道に乗りたいものだと思う。

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November 27, 2006

衰えを受け入れること

アンチエイジング・ブーム

アンチエイジングは美容界、健康ビジネス、医療界で大きなマーケットとなっているようです。

 アンチエイジングすなわち抗加齢・・・。でも、加齢に抗っているだけでは、幸せになれないのではないか、幸せからどんどん離れてしまうのではないかと心配してしまいます。

自分のありのままを受け入れる

そもそも人間が幸せになるための第一歩は「ありのままの自分を受け入れる」ということではないでしょうか。背が低い、顔の造作が整っていない、太る体質、手足が短い・・・、こうした目に見えることだけではなく、なにをやるのものろい、いつもどこかが抜けている、軽薄である・・・、また性格が暗いといわれる、くよくよとしてしまう、細かいことに気がいかない・・・などなど、一見マイナスと感じてしまうような自分というものも、現実なんだから受け入れる、ということから、ほんとうの幸せは始まるのではないかと信じるのです。

そうした自分なんだけど、他の人にはないこんな良さがあるとか、欠点と思われることも裏返せば長所だったとか、そういうことに気づいていくことこそ、その人間を生かし、人生100年なら100年を生き抜いていく力を与えるのだと思います。

老いを受け入れないと老いる?

その意味で、アンチエイジング-抗加齢という言葉を文字通り受け取ってしまうと、加齢によって、体力も、容貌も衰える、そして、いずれは自分の体は朽ち果て、土に帰っていくのだという事実を認めないことにもなりかねません。でも、それは厳然とした現実として、どんな人からも離れず、くっついているものなのです。それを認めないと心の中に現実と理想との乖離のために葛藤が生まれる。そのストレスが、より老化を促進するということにもなりかねません

だから、まずは、人間は誰でも年を取るということを認めなければならないのではないでしょうか。それにともない容貌というものも、土に向かって衰えていく・・・。そうしたことをすんなりと認めた上で、少しでも若返ろう、いつまでもできるだけ健康でいよう、と努力する、それが大切だと思うのです。少しでも衰えることを防ぐことは尊いことですが、まずは「“老いる”ということを受け入れる」ことは欠かせないことなのです。

1つの力が衰えると他の力が伸びてくる

これに関して、PHP 12月号でアテネ五輪アーチェリー銀メダリストの山本博さんがこんなことを語っていました。

30代の後半になり視力が落ちてきたのです。これまでハッキリ見えていた的がぼやけてきて、照準が思うように定まらない。当然体力も若い選手には敵わなくなる。でもメダリストだというプライドはあって、焦燥感ばかりがつのっていました。

―そのトンネルから抜け出されたきっかけは何だったのですか? 

 自分の中で考え方を変えたのです。年齢とともに視力が落ちてくる。そんなことは当たり前で、それを嘆いていても仕方がない。自分の視力の衰えを受け入れた上で、やるべき練習を行うしかないと。

 すると人間の力とは不思議なもので、1つの力が衰えると、それをカバーするように別の力が伸びてくるのです。心の目と言えば大げさかもしれませんが、練習を続けううちに、そういう力が備わってくるのを感じました。事実、ハッキリと的が見えていた20代よりも、的中率が上がってきたのです。

 

最後に、佐藤一斎『言志耋録』より、以下の言葉をご紹介いたします。

心志を養うは、養の最なり。体軀を養うは、養の中なり。口腹を養うは、養の下なり。

―心を養う(精神修養)のが養生の最上策であり、体を養うのは養生の中策で、口や腹を養うのは養生の下策である。

 

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November 26, 2006

子どもにしてやれるほんとうのこと

布団の上で喘鳴に苦しむ子どもに

してやれる ほんとうのこと

それはただ発作を止める

ということではなく

己のために生きること

己に徹して生きること

そう気づいた時、

全身を慄然とさせるような厳しさが、

稲妻のごとくぼくの身体をさした。

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しあわせはひだまりに

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家の中の

ひだまりには

小さなしあわせがある

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ココニイル

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オレハココニイル

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November 24, 2006

カマキリがやってきた!

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わがやにカマキリがやってきた。

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いきなり、昆虫博物館になった。

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表現こそが自らを救う

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自分を表現すべき仕事を続けてきた

その中で表現できなかった自分が

表現できるようになる唯一の道。

それは表現することなのかもしれない。

表現こそが自らを救うとは

そういうことなのか・・・。

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命なんだ!

  こわれる

             われる

     ひきさかれる

命なんだ!命なんだ!

             ちしぶきをあげる

 くるしむ

         うめく

命なんだ!命なんだ!

くちる

はてる

きえる

命なんだ!命なんだ!

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なにもない

私にはなにもない。なにもない。

金もない。地位もない。名声もない。

健康もない。仕事もない。住むべき居場所がない。

友もない。家族もない。話し相手もない。

なにもない私だけど、○○がある。

と言おうとしたけど、

やはりなにもないんだ・・・

どうみてもなんにもない。

気軽さもない、自由もない、束縛もない。

なにもない、なにもない、私にはなにもない。

なにもない、なにもない、私もいない。

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November 23, 2006

私には私の生き方がある

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♪私には私の生き方がある。

それは自分というものを知るところからはじまるものでしょう・・・♪

            吉田拓郎『今日までそして明日から』より

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November 22, 2006

頭山満、出口王仁三郎に日本人のアイデンティティーを求める

やはり明治という時代が日本の分岐点になったと思う。

西欧文明を取り入れて、次第に、

日本という“自分”を置き去りにしてしまった時代。

その明治に日本のなにを置き去りにしたか・・・と

考えることは、日本のアイデンティティーを確認する上で

欠かせないことだと思う。

なにを置き去りにしたのか、誰を置き去りにして、

忘れようとしてきたのか・・・。

歴史の教科書にもあまりのっておらず、

であるにもかかわらず、日本人としての根幹を

体現して生き抜いた人物・・・、

私の浅はかな主観を述べたい。

ここに2人の男がいる。1人は右翼の巨頭として

戦後、日本人がその記憶から消されつつあった

頭山満。

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そして、宗教家であり、戦前、国家により壊滅的な弾圧を受け、

戦後、その信者や一部の人をのぞいて、

忘れ去られていった出口王仁三郎。

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片方は、現在から見れば右翼であり、片方は宗教である。

どちらも、戦後民主主義の日本から見れば、

明治の“闇”の部分に思える。果たしてそうなのだろうか。

彼らは日本を変えよう、改革しようとしたのではなくて、

“日本を守ろう”としたのではないか。

そして、彼らを教科書にものせず(私の知る範囲では・・・)

歴史の片隅においやってしまったことと、

戦後、日本人が日本人であることを、つまり自分であることを

放棄してしまったことは、

同じところから発しているのではないだろうか。

頭山の思想のベースは、陽明学。

そして出口はもちろん出口なおの大本教(神道)である。

大本教を日本古来の神道と同一視するわけではないが

そこには、やはり、日本の根幹に流れている一貫したものが

あると信じる。

頭山の弟子、中村天風はよく頭山から

「自然の森羅万象とともに生きない奴はダメだ」

と言われたそうだ。

この思想は、森羅万象、自然の中に神がいる

神道とも通じているように思える。

西欧文明では人間は自然と対立する。

日本をはじめ東洋では、人間はあくまで自然の一部である。

もしかしたら日本人はその根幹を捨て去って

しまったがゆえ、自分を失ってしまったのではないか。

そのものが本来もつアイデンティティーに沿って生きる

ことは、その人間に天から付与された

「自然とともに生きる」ということでもあろう。

頭山満も出口王仁三郎もともに「巨人」と呼ばれた。

そして彼らは、出会っている。

大人物は大人物を知る。同時代に生きた者として

必然のことかもしれない。

先週の記事(1116日「ある人物史 佐藤一斎から稲盛和夫」)

にも書いたが

自分が学びやすいという観点もあり、

頭山満から入って、その流れの中で学んでいくと、

日本人が置き忘れてきたものが少しは

見えてくるような気がする。

当然、その流れは、出口王仁三郎に行き、

そこから、生長の家の谷口雅春、

(先週コメントを書いてくださった“ぽっぷさん”、

ありがとうございます)

世界救世教・自然農法の創始者、岡田茂吉へと行く。

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November 20, 2006

小児喘息は自分にとっての「解放」だったのか?

◆野口晴哉さんの治療で・・・

今では知る人ぞ知る、日本の代替医療の歴史に燦然と輝く、野口整体の創始者であり、

『整体入門』『風邪の効用』などの著作で知られる野口晴哉先生(故人)の治療を受けていたことがある。

小学生の頃、喘息を治すためだった。畳に敷かれた床に寝て、体をさわっていただくのだが、そのとき、母も付き添うことが多かった。

◆まずいものをまずいと言えるか

すると、その大先生は、

「好きなものを食べたいとお母さんに言っているか?君がほしいと言ったものをお母さんは作ってくれるか?」

とよく、ぼくに聞いた。もちろん、そばにいる母にも聞こえている。

「お母さんが出した食事がまずかったら、まずいと言って、作り直させているか?」・・・。

 小学生のぼくは答えられなかった。すぐそばにいる母を意識していたのかもしれない。すると、決まって母が、

「お父さんが厳しいんだよね」とぼくに向かって言うことで、大先生に答えていた。直接、先生に答えることもあった。

30年以上経って、少し解ったこと

 もちろん、そのとき、なぜ先生がそんなことを問うのか、とわからなかった。その後、長じて、治療をやめてからも、不可解なことをいわれたとしか感じられなかった。母は、優しい人だった。父の方が、どちらかというと、厳しくて身勝手なところがある人だと思っていた。

 そうしたことを言われてから、30年以上たった今、“自分”というものを見つめ考えに考えて、ぶち当たったこととようやく、一致したような気がする。

 子どものころからの喘息は、もしかしたら、自分にとって、しばしの「解放」であったのではないかということである。

◆自分の中に埋め込まれた「抑圧」

ぼくは、父からなのか母からなのか、家庭全体からなのか、やはりかなり「抑圧」を受けて育てられてきたと思う。母は優しかったが、「そんなことをしたら、お父さんから怒られるよ」という形で、ぼくを押さえつけてきた側面があった。

ありのままの欲求、ありのままの自分が認められず、まじめ、いい子でいるしかなかった。喘息であるという意識が、ますます、その状態に自分を依存させたのかもしれない。

今、記憶をたどってみると、喘息であるときだけが、母に甘えられるときだったような気がしてならない。

「こんなものを食べたい!」、また出された食事に対して「まずい!作り直して!」なんて言える環境にいなかったことは確かなことだ。

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November 19, 2006

親の愛に飢えた子と愛に抱かれた子

愛の腕に抱かれたことがある人は

落ちぶれて惨めに果てることはない。

知らない土地でひとりで死んでも

愛人の唇に触れて感じた

ふるい浄福がまた甦ってき

死の床でさえなお 彼女を自分のものと感じる。

      T・シュトルム、藤原定訳

      「愛の腕に抱かれたことがある人は」

この詩は、恋人との愛だけを詩っているように思えない。

親の子への愛をどうしても想ってしまう。

親の愛に包まれて育った人は、

きっと、いつまでも幸せである。

親がとうの昔に亡くなった、自らの死の床でさえ、

親の懐に抱かれていられる。

ところが、子どもの頃、親の愛を存分に

受けられなかった人は、

死ぬ間際でさえ、愛に飢えて、

惨めな気持ちで死んでいくのかもしれない。

その飢えを補ってくれる愛を

見つけられていれば別だが・・・。

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November 18, 2006

叫び・悲鳴・ただの音… (金)(土)

グワーッ 

ゲボォッ

オエ~ッ

君は、この音のない叫びに魂の悲鳴を聴いたか!

聴いてないのか!!いったい、どうなんだ!!!

どうなってんだよ。。。

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たった一人の葬式   (金)(土)

彼は死んだ。古い団地の一室で、年老いた妻だけに看取られ、畳の上の真白い布団の上で死んでいった。金はない。だから、葬式は出せない。市と契約している葬儀屋に頼んで、通夜も葬儀もせず、ただ火葬をしてもらうだけ。葬式を出せたとしても、参列する客はほとんどいなかったであろう。

「棺を蓋いて事定まる」という。その言葉が取り上げられるのが、大勢の参列者に囲まれて通夜葬儀が行われたき。これも故人の人徳だと褒め称えられる。しかし、死んでも葬式に誰も来ない人生もあるのだ。そうした人生はまったく意味がないものだったのだ・・・誰がいえよう。

 古く壁が変色し、ひびが入った団地の階段を、黒い服を着た葬儀屋の男2人にタンカーに乗せられ、階下へとおりていく。霊柩車ではなく、ほこりっぽい濃紺のワゴン車へと遺体は運び込まれた。妻の哀しみをこらえる、しわだらけの顔だけが有機物として存在しているかのようだった。

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November 17, 2006

まじめ・いい子じゃ、ものは創れない? (金)(土)

ものを表現する、創るといったとき、ぼくの場合、

ずっとやってきたのは、放送の企画や台本だけど、

その根幹ともいえる大切ことは、

自己主張できるかどうかだと思う。

これはどんなものを創造し、表現する場合でも

同じであろう。

他人はこうかもしれないけど、自分はこう思う

まずは、それがあるか、ないか。

そして、それを言える(表現できる)か言えないか。

言い続けることができるか、できないか。

ということだと思う。

だから、ただ、まじめで優等生、

いい子で育ってきてしまった

人には、創造的な仕事はほんとうに

つらいことであるはずである。

彼らの多くは、親や周囲の人から

見捨てられないために、よく思われよう、

いい子でいよう、成績を上げようとして

やってきているがゆえ、

自分がなくなってしまっている

別の言葉でいうならば、そのままの自分を出すと

嫌われてしまうのではないかと本能的に

思ってしまうのである。

そして、それをなんとか、自分の中の葛藤を

乗り越えて外に出しても、他人からあまり

評価されなかったり、反対意見を述べられたとき、

そのダメージは、普通の人以上に大きいのである。

だから、次には受け入れられないのが怖くて、

主張できなくなってしまう。

たとえば、放送作家の場合、

与えられたテーマや番組の枠の中に自分のアイデアや企画を

吹き込むのが大きな仕事である。

そこにその人間の個性を出せなければ、

その作家の存在意義はない

いてもいなくても同じになってしまう。

だから、自分を主張でできないというのは

職業を従事していく上で致命的である。

なぜならば、アイデアや企画というのは、

それを面白いと選んだ、その人間の主張そのものであるから。

たとえ拒否されようとも、

面白いと自信をもっていえないようなら、

それはその人間の企画でもアイデアでもないのである。

武者小路実篤は、

自分の意見をいうために小説家になった」という

NHKアーカイブより)。

理想主義的な生き方をした人であるが、

決して、自分のあるがままを無視した人では

なかったのであろう

成績は優秀だったとしても、ただのいい子、まじめで

来たのではなかったであろう。

実は、ぼくが物を創る、表現するということにおいて、

ぶち当たっているものが「壁」であるとするならば、

他ならぬその部分が「大きな壁」として、自分の中に

立ちはだかっているのである。

いや、立ちはだかられ続けてきて、

立ちはだかられて続けていくことの限界をすごく

感じている…ということなのかもしれない。

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November 16, 2006

ある人物史 佐藤一斎から稲盛和夫 (水)(木)

佐藤一斎(1772-1859)もしくは大塩平八郎(1793-1837)から

西郷南洲(1827-1877)。

西郷南洲から頭山満(1855-1944)。

頭山満から中村天風(1876-1968)

中村天風から

松下幸之助(1894-1989)と稲盛和夫(1932-)。

歴史の中のこの人物の「流れ」が好きである。

後世のもの(後輩)が過去の人物(先輩)を

尊敬し、学んでいった「流れ」とでも

いおうか。

この「流れ」を発見したときは、

歴史の中の「鉱脈」を発見したような喜びが

あった。

あえて共通項を上げれば、理論・哲学(学問)と実践

ということかもしれない。

自分はそういう生き方に憧れをもつものである。

詰まるところは、「徳を磨く」ということであろう。

ただ技術だけの経営者、知識だけの学者なんて、

いくらその人が、金持ちで、有名で、地位があっても、

好きにはなれないし、自分の中では、軽い存在である。

金がなくても地位がなくても“徳”がない人より

“徳”がある人間の方が私の中での地位は高い。

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November 15, 2006

しばらく分野にわけます

しばらく、曜日ごとに分野にわけて書き込んでいこうと思います。

(月)(火) いかに健康(心と体)になるか?

(水)(木) いかにして人物になるか?(魂の向上、哲学、歴史・・・)

(金)(土) いかに創るか?楽しむか?(芸術、芸能、物を書くということ・・・)

(日) 子育て、家族、教育、経済、・・・フリー(休養も含む)

たとえば、(月)(火)ということは、

月曜日または火曜日、もしくは月曜日と火曜日の両方ということです。

まったく、自分の興味・関心、自分の人生の問題意識によるわけ方です。

どれが、どれに入るかは、私の感覚で決めます。

当分の間、実験的にこんな感じでやっていきますが、

やめるかもしれませんし、変えるかもしれません。

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November 13, 2006

肺炎だった。

◆喘息の人は肺炎にかかりやすいらしい・・・

医者に行ってレントゲンを撮ったら

右胸に影があった。

肺炎のようだ。

担当医いわく、喘息の人は肺炎にかかりやすいらしい。

自分も今まで3回やって、

2回入院している。これで4回目。

今回は入院まではいかないだろう。

◆なにゆえ、こんなことに・・・

それにしても、なぜ、こんなになってしまったのか。

忙しいといっても放送作家として忙しかったときと

比べたら、それほどでもない。

どちらかというと、心の面での負担が

大きかったのではないかと踏んでいる。

「4年間仕事を休業して、再開してからも

多少分野は違っても同じような仕事のやり方、

をしているのじゃないか」

という葛藤だ。

◆あのときのいやな自分の姿が思い出されてしょうがなかったけれど・・・

もう思い出すのもいやで、2度と会いたくない、

決別したい、と望んでいたそのときの自分・・・。

姿形は放送作家してたりする

自分だったかもしれないけど、

中身は自分じゃなかった・・・。

形は違っていても、今の自分も、

そのときの自分と同じことをしていると

いうことに気づいたけど、

そんなことはないと打ち消し続けてきた。

そのストレスが早くも表れてしまったのではないか。

◆この際、ぜんぶ放出したい気分                  

当然、からだに溜め込んだ毒素がたっぷり

あり、それを出しているのだろうが、それとともに

心の膿(うみ)もこの際、放出してしまいたい、

そんな気持ちでいる。

まあ、そう簡単にはいかないだろうけどね。。。

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November 11, 2006

久々です。

①体調崩しています・・・

久しぶりに書く。

ずっと仕事が忙しく、途中から体調を崩し、

また、一時、吸入ステロイドを意識的に

止めたこともあって、発作が激しくなり、

また、熱が5日間くらい38度台になり、

いまは、また吸入をしているが、熱は

あまり下がらない。

まあ、熱は風邪だろう。風邪を引くと、

発作が強くなってしまう。

体内の溜まった悪いものを

熱で溶かした上で、吹き出しているのだ。

その証拠に痰などすごい。

②ある患者会に行きました・・・

この間、ある喘息の患者の会に

参加したが、思っていた以上に、

吸入ステロイドの副作用があることを

知ってしまった。

発作を止めると、鼻と喉と、耳に

くるらしい。鼻の手術をした人が

けっこういた。

かといって、薬を使わないと、ひどい人は

死の危険もあるかもしれないし、

なにより、社会から孤立してしまう。

なぜなら、自分から言わせてみれば

「発作を治す作用が実は発作」なのだけれども

だからといって、発作を止めないと、

仕事など社会生活が普通にできなくなり、

なんで発作を止めないんだと直接間接に

非難されてしまうからだ。

そうしたことは、自分の経験で

身をもって感じてきた。

③かなり手ごわい相手です・・・

それでも、自分は、どんなに発作がひどくても

やめた方がいいとおもっているし、

喘息を乗り越え、もう1つの遺伝性の病、

多発性のう胞腎もまったく

心配がなくなるような根本的な健康になる方法

ー戦略戦術を模索している。

戦略戦術という大げさなものでなくても、

つまり目標を決めて着実にやっていこうと

思う。

そうじゃなくて、ただ挑んで勝てるような

自分にとって弱い敵ではないのだ。

薬をまったく使わず仲良くできるほど

理性的な相手じゃないし、

正直、自分にはかなり手ごわい相手だ・・・。

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