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December 02, 2006

病は不自信の処に在り。

「随処に主となれ」を『臨済録』から探そうと開いたら、たまたま栞が入っていたページが、今、私の問題を解決するとまでは行かなくても、大きなヒントとなるようなことが出ていた。

山僧が人に指示する処の如きは、祇(た)だ你(なんじ)が人惑(にんわく)を受けざらんことを要す。用いんと要せば便ち用いよ。更に遅疑(ちぎ)すること莫れ。如今(いま)の学者の得ざるは、病甚(やまいなん)の処にか在る。病は不自信の処に在り。你若し自信不及(じしんふぎゅう)ならば、即便(すなわ)ち忙忙地(ぼうぼうじ)に一切の境に徇(したが)って転じ、他(か)の万境に回換(えかん)せられて、自由を得ず。你(なんじ)若し能く念念馳求(ちぐ)の心を歇得(けっとく)せば、便ち祖仏と別ならず。

―【訳文】今わしが君たちに言い含めたいことは、ただ他人の言葉に惑わされるなということだけだ。自力でやろうと思ったら、すぐやることだ。決してためらうな。このごろの修行者たちが駄目なのは、その病因はどこにあるか。病因は自らを信じきれぬ点にあるのだ。もし自らを信じきれぬと、あたふたとあらゆる現象についてまわり、すべての外的条件に翻弄されて自由になれない。もし君たちが外に向かって求めまわる心を断ち切ることができたなら、そのまま祖仏と同じである。

病因は自らを信じきれぬ点にあるのだ。もし自らを信じきれぬと、あたふたとあらゆる現象についてまわり、すべての外的条件に翻弄されて自由になれない。

これは前の記事、『それじゃ、おまえはなんなんだ?』、『世の中のためになることを表現するということ』、その他の底流にある、現在の私が気づいた、自分が小さい頃から抱えている問題に他ならないのではないか。つまり、簡潔にいえば「自信がない」のである。「自らを信じきっていない」のである。だから、根底において、人を信じられない。

錯(あやま)ること莫れ、諸禅徳。此の時遇(あ)わずんば、万劫千生、三界(さんがい)に輪廻(りんね)し、好境に徇(したが)って掇(てっ)し去って、驢牛(ろご)の肚裏(ずり)に生ぜん。道流、山僧が見処に約せば、釈迦と別ならず。今日多般の用処(ゆうしょ)、什麼(なに)をか欠少(かんしょう)す。六道の神光(じんこう)、未だ嘗つて間歇(かんけつ)せず。若し能く是(かく)の如く見得せば、祇(た)だ是れ一生無事の人なり。

―【訳文】取り違えてはならぬぞ、皆の衆。今ここで仕留めなかったら、永遠に迷いの世界に輪廻し、好ましい条件の引き廻すままになって、驢馬や牛の腹に宿ることになるだろう。君たち、わしの見地からすれば、この自己は釈迦と別ではない。現在のこのさまざまなはたらきに何の欠けているものがあろう。この六根から働き出る輝きは、かつてとぎれたことはないのだ。もし、このように見て取ることができれば、これこそ一生大安楽の人である。

 私は、こうしたことに、大学時代に気づきかけた。それなのに、ちゃんと解決しなかったがゆえ、それから20年以上も経ってそのままでいるといっても過言ではない。

今ここで仕留めなかったら、永遠に迷いの世界に輪廻し、好ましい条件の引き廻すままになって、驢馬や牛の腹に宿ることになるだろう。

 私が大学時代に仕留めなかったから20年間以上ずるずると来てしまったように、「今ここで仕留めなかったら」、今から20年後、60代という高齢者の年代へとずるずると持ち越し、それどころか墓場までもっていき、まさに「永遠に迷いの世界に輪廻」することになるかもしれない。

驢馬や牛の腹に宿る」とは自己流の解釈をすれば、「ロバや牛のように人に使われる身になる」ということではないか。それは誰かの下で働くとかそういう形だけの問題ではなく、いつでも自分が心の中で自分の主人公でなく、何者かの使役人のような状態ということではなかろうか。組織の下部で働いていても、主体的に生きている人はいくらでもいるだろう。少し飛躍しているかもしれないが映画『釣りバカ日誌』のハマちゃんなんか、会社ではちっとも出世しないけれども、主体的に生きている典型といえるのではないか。彼にはなみなみならぬ“自信”がある。がゆえに、後進からどんどん追い越されても嫉妬しない。

もし君たちが外に向かって求めまわる心を断ち切ることができたなら、そのまま祖仏と同じである。」(注-祖仏とは「われわれの父祖である仏」の意)

この自己は釈迦と別ではない。

つまり、これは、われわれというのは、ただ今の段階でも、その存在は、釈迦であり、仏であり、神であるということではないのか。そこまで自己を肯定しきってこそ、「祇(た)だ是れ一生無事の人」となれるのだろう。

※参考文献 入矢義高訳注『臨済録』(岩波文庫)

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