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December 24, 2006

へたでもいいじゃないか!

子どものおもちゃに、デフォルメされていてかわいいい、プラスティックの動物、ブタ、クマ、ライオン、・・・があり、それをそれぞれのブロックがあって、その上にのせると、歌いだす(音楽が流れる)というのがあった。

日本の山奥で、座禅を組んでいるとっても変わっている白人の神父さんがいる。その方と、ある人の病床であったのだが、自分のお国のアイルランドでは、道の途中で知り合いの人と出会うといつまでもいつまでも長話をする。ようやく、話が終わって、また歩き出し、誰かと出会うと長話。実は、そんな生活が日本の昔にもあったのだ。ぼくの子どもの頃、60年代、70年代にはまだ残っていたような気がする。

 

その神父さんは、病床でそこにあった茶碗と茶たくをもって、「座禅とはこの茶碗を茶たくに置くためにやる」といった。つまり、自分が座るべきところに座るということだろう。その人は、座禅と瞑想を区別していなかった。瞑想とは、宗教に関係なく、昔から人間が行ってきたものと言っていた。

その後で、前述のおもちゃを見たとき、その神父さんの話を思い出した。きっと、茶たくに茶碗を置けば、いつまでもいつまでも歌い続ける、そう思った。そのときは、もううまく歌おうなんて関係ない、とにかく、歌いたくなって歌いだす・・・。絵を描きたいから描き出す・・・。歌おうとして歌うのではないのだ。描こうとして描くのではないのだ。小説家の安岡章太郎氏が以前どこかに書いていた。「小説を書こうと思って書き出す人間はにせもの。書こうと思わなくても自然に書いている」。確か学生時代に読んだのだが、ずっと頭にこびりついていて離れない。書かずにいられないから書いているだけで、できたものが下手であろうが下手でなかろうがとにかく書き続ける。だから、最初は下手でも長い歳月をかけるうちになんとかなっていく・・・。

ところが、無理矢理、書こうと思わなければ何も書けない人もいる。小説だけではない、人生のすべてがいうなれば自己表現だと思う。会社で事務をする人も、商店で物を売る人も、力仕事をする人も、自分を生かして生きることが自己表現である。ところが、あらゆることに、無理をして生きている人がいる。いやいや生きている。それは自分の茶たくに茶碗をおいていないのだ。夏目漱石も講演でこう言っている。「1つ自分の鶴嘴で掘り当てる所まで進んで行かなくては行けないでしょう行けないというのは、もし掘り当てる事が出来なかったら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです」(『私の個人主義』より)。

ほんとうは、茶たくなんて自分のすぐそば、足もとにあるものではないか、自分探しだなどといって、海外を放浪するまでもない。次から次へと、職を転々とし、次から次へと習い事をする必要もない。自分のものなのだから、自分の中にあるはずだ。自然にやりたいことを臆せずやればいいのだ。中にはいくら探しても見つからない人がいる。それは自分の“茶たく”を隠してしまっているなにかがあるのだ。それが見栄や体裁かもしれない、幼児体験かもしれない・・・。つまり、自分が好きなこと、嫌いなことがわからなくなってしまっている人もいるのだ。そして、そういう人は、自分が好き嫌いがないということもわかならくなっている。ぼくもその1人だった。そして、今少しずつ、回復してきていると思っているのだが、油断をすると、すぐ他人の目を気にしすぎてがんじがらめになってしまう・・・。だから、まだまだ・・・。

とにかく、“描けない”人は、子どもの頃、人生において一番最初に作った作品をけなされたり、無視されたり、認められなかった人が多いのではないか。どんなに下手なものでもその作品なりの、その子どもなりの良さがあるはずなのだ。絵がだめでも文章が、絵も文章もだめでも算数は、絵も文章も算数もだめでも運動は・・・というものがあるはずなのだ。

それを認められてこなかったのではないか。

 もう大人になったら、なかなかほめてくれる人、下手な中にもいいところを発見してくれる人もなかなかいないだろうから、自分で自分を信じてやるしかない。

 

二科の研究所の書生さんに「どうしたらいい絵がかけるか」と聞かれたときなど、私は「自分を生かす自然な絵をかけばいい」と答えていました。下品な人は下品な絵をかきなさい、ばかな人はばかな絵をかきなさい、下手な人は下手な絵をかきなさい、と、そういってきました。

 結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。自分にないものを、無理になんとかしようとしても、ロクなことになりません。だから、私はよく二科の仲間に、下手な絵も認めよといっていました。

          熊谷守一『へたも絵のうち』

 

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Comments

モモさん、この日記ありがとう^^
でね、吾は、モモさんの言葉で、ずいぶんと救われておるよ^^

Posted by: 弥々 | January 04, 2007 at 05:56 PM

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