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December 27, 2006

天に作られたままに生きる

凡そ事を作(な)すには、須(すべか)らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。

                佐藤一斎『言志録』

西郷南洲遺訓の『人を相手にせず、天を相手にせよ、天を相手にして己れを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』のヒントになったのではないかとも思われる言葉。

訳文「すべて事業をするには、天(神または仏)に仕える心をもつことが必要である。人に示す気持ちがあってはならない」(川上正光訳)。

 この言葉はぼくにメッセージを発し続けてきた。今の時点でこの言葉を受けとめ思うのは「天に事うるの心」とはどこからくるのかということ。天に事えようとする心は、天に事えるのがいいことと誰かがいうから、そうしようとするのではなくて、そもそも人間の心に備わっている心ではないか・・・

 その人の心のままに生きれば、自然と「天に事える」ことができるのではないかということだ

 たとえば、何かを表現するという場合、意識的に他人に何かを伝えよう、何かを描こうとすることは「天に事える」ということにならないとも、この上記の言葉からは受け取る事もできるかもしれない。

 しかし、人間というもの、自分というものは「天が作ったもの」だ。その欲求に従ってあるがままに生きること、そして描くことは「天が作ったままに生きる」ことであって、そのまま「天に事えている」ことにならないか

 今、窓から朝の太陽の光がさしているが、その光がこんなことを書かしているのではないかと思いながら、思いつくままを書いてみた。

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