他人の目を気にし過ぎる性格が喘息を悪化させた?
今、心の問題に一番、興味をもっています。
だから、ブログの記事もどうもそっちに行ってしまいます・・・
※私の関心というものは、次から次へと変わっていき、
1周してまた元に戻ってくるというような傾向があるのですが。
※今回も、その方向で、「自分を知る」についての記事です。
心に関心がいっているというのも、
ガンの取材や本を通して、
生活習慣なども大きな原因となるのですが、
それ以上に、心の問題が大きいということを
知って、自分の病も、同じなのではないかと
思ったからです。
そうして、自分や周囲の人と照らし合わせて、
それなりに研究(勉強・分析)をしていくと、
いかに、自分が心にも問題を抱えているかが
わかってきました。
それを肉体の病と短絡的に結びつけてしまうのは
まだ捷径ですが、自分の中や過去に問題があると
いうのは確かなことです。
たとえば、病の根本的な原因というわけではない
のですが、私が3~4年間、薬を使わずに
喘息などの自宅療養をしていて、一番、つらかったのは、
世間の対応でした。
なぜ休むんだ、なぜ約束ができないのだ、
薬を使って症状を抑えればいいじゃないかとなる。
そんな理由で、仕事をしないなんてけしからんと。
当然、経済的にも苦しくなっていく。
だから、再び薬を使い始めた・・・ということは
確かにあります。
しかし、ほんの少しばかりですが、
自分を見つめながら勉強をしてみると、
世間の対応というものを気にしすぎる自分というものが
いることに気づいたのです。
年中、浪人のようにうちにいることを
近所はどう思うだろう。
他の難病もあるのだけれど、
世間の人は、喘息くらいでと思っていないか。
働き盛りがろくに働きもせず、何をやっているんだ
とみんな非難しているだろう・・・。
確かに親戚からも直接に非難されたこともあるし、
事実、そう思われても仕方がないとは思いますし、
私の事情を知っている人で、しょうがない奴だと
思っている人もいるでしょう。
それはそれで、その人は世間的な見方からすれば
間違ってはいないとも思います。
つまり、そこで、一番問題なのは、
そういう周囲の目というもの対して
自分が過剰に反応しすぎることなのです。
そして、非難されたことはあっても数少ないのに、
勝手に、「あの人もそうじゃないのか」
「この人もそう思っているのではないか」
とどんどん膨らませていって、
ますます自分を圧迫してしまっているのではないか
ということなのです。
そして何よりいけないのは、
そういう心の問題がストレスとなって
病の治るのを遅らせてしまったということなのです。
私が、薬を使わない治療を始めたのも、
「すべての病は浄化作用である」という信念が
あったからです。
つまり、病はどんなものでも、
体内の毒素(それは体だけでなく、心や魂も含まれる)
を出す作用であるということが真理であることを
確かめたかったのです。
それなのに、病によって悪いものをどんどん外に出していても、
つぎからつぎへと、心の問題に起因するストレスによって
病の原因となる毒素をためるような
悪循環に陥ってしまいました。
そうなると、治るものも治らず、どんどん長引かせてしまいます。
しかし、そういった他人や世間を気にしすぎてしまう心というのは、
なくそうと思ってすぐになくせるものではありません。
なぜならば、もっと心の深いところや自分の生い立ちに
原因があるからです。
そういうことも知りました。
少しずつですが、人間の心理について、
つまり自分について、
かじればかじるほど、さらに探りたくなる。
それが、今、心の問題に関心がいっている理由です。
« ほんとうにやさしい人 | Main | 光浴びて »
The comments to this entry are closed.
Comments