自分の“天”を守るためにウソをつく
自分を守るためにウソを徹底的につく。そんなこともあっていいのではないかとふと思ってみた。
その自分とは欲望を拡大させて生きる自分ではなくて、天が与えた自分である。
天が与えたままに生きることが尊いのか、それとも、それを裏切ってでも、社会の中で生きるのが尊いのか・・・。
天が与えたままを大切にして、社会の中で生きて行くには、時にはウソをつかなくてはならないこともある。それは社会がまだ、天に従って作られていないから。だから、そのウソは決して利己的なウソではない。時には、他の人の中の“天”を守るためにウソをつくこともあるだろう。
それには、まず、自分の中の“天”とは何であるのか知る必要がある。人間の中の“天”とは何であるかをもっと学びたい。
The comments to this entry are closed.
Comments