自意識過剰は自己不在?
(今回は心の健康ということで・・・)
本日、ニッポン放送のラジオ人生相談で
パーソナリティーの心理学者、加藤諦三氏は、
「自意識過剰な人は自己不在の人です」としめの
言葉を述べられていた。
実はぼくも自分自身が自意識過剰ではないかと
思えてしまう場面がたびたびある。
たとえば、飲み会の席で近くの人が誰かに
ビールをついでいるとき、自分にはついでくれるか
どうかというのが気になってしかたがない。
馬鹿馬鹿しいことだ、気にすまいと思えば
思うほど、気になってしまう。
それで、自分のコップについでくれれば、一安心。
ついでくれなければ、どうしてだ、自分のことを
嫌っているのではないか、自分を軽く見ているの
ではないかなどと、あれこれ考えてしまう。
ビールをもうこれ以上いらなくて、断るときでも、
一応、相手がつぐかどうかを聞いてくれないと
気がおさまらない。心の中で過剰に反応してしまう。
そんな風だから、人のコップが空いているのも
気になってしまい、すぐに気がつく。
気がつくだけならいいのだが、
つぐべきか、つがぬべきか迷ってしまう。
なぜならば、自分が相手にビールをついであげて、
相手がそのお返しでビールをついでくれなかったら
どうしようと考えてしまうからだ。
つぐべきか、つがぬべきかで神経をすり減らしてしまう。
だから、楽しいはずの酒を飲む場が、楽しいはずはない。
このように、ちょっと、強調し過ぎたかもしれないけど、
自分は「自意識過剰」なところがある。
他人と共にいて、気が休まらないことが多い。
こうした酒の席での「自意識過剰ぶり」を振り返って見ると、
確かに、「自分がない」行動と態度である。
「自意識過剰な人は自己不在の人」という言葉には
とても、うなづける。
加藤氏は今日のラジオ人生相談の中で
相談者に対して、こんな感じでアドバイスをしていた。
「あなたは自分がないから自意識過剰である。
自分がないから欲望が肥大化した。
常に相手がいなくて、自分だけが大切である。。
あなたが大切なのは奥さんでも、娘さんでもなくて、
昔からずっと、あなた自身だけが大切だったのだ。
もう、自分にうそをつくのはやめることだ。
『私の大切なのは私だけです』ということを認める。
それを認めてこそ、他の人を大切にする気持ちも出てくる・・・」
今、ぼく自身ももつれにもつれた心の糸を
少しずつほぐし始めている。
ぼくは、けっこう複雑な、
ちょっと珍しい家庭環境で育った。
その直接の影響は30代半ばまであった。
あらためて、学んでいくと、その環境下で
心に影響を与えられないはずはないだろう
ということもわかってきた。
まだまだ、もつれた心の糸は大きい。
ほんのちょっぴり、ほどけただけ。
死ぬまでにどこまでほぐすことができるだろうか。
それを、完全とまではいわないが、
ほぐすことができなければ、
恐らく真の健康も、ほんとうの自分の仕事も
ないだろうとは、最近とみに考えている。
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Comments
つぐべきか、つがぬべきか迷ってしまう。
@モモさん、一緒^^
だからね、吾は、大勢の飲み会は嫌いなの
だからね、吾はビンではなく、ジョッキでビールを飲みまする^^
Posted by: 弥々 | January 04, 2007 06:09 PM