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January 12, 2007

病休業中

コメントへのお返事もしばらくお待ちください・・・

                                                      

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January 10, 2007

心まで病ますまい

今年は中村天風(哲学者)の以下の言葉を

あらためて“心がけて”生活をして行こう。

たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。

たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。

否、一切の苦しみをも、なお楽しみとなすの

強さを心にもたせよう。  『座右箴言』より

特に、「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい」。

そのための具体的な方策として、自分がしたいのは、

①「ありがとう」という言葉を心の中で繰り返し唱える。

  できれば、直接、口に出す。

 つまり、どんな小さなことでも感謝をする。

 存在できていることに感謝する。

②自分の病が治った姿をたびたび思い浮かべる。

 そして、そのとき、

 「病が治りました。ありがとうございます」と心の中でいう。

 こうして病が治り健康になったときの感謝の気持ち、

 嬉しい気持ちを常日頃より喚起する。

③明日のことを思い煩わない。

 今日一日の単位で生きる。

 今できることをやり、今日出来たことに感謝する。

付記

感謝、プラス発想、明るさ…そうしたことの大切さは学んできましたが、あえて、昨年の終わりは、自分の内面の見つめたくない部分に注目してきました。そのため、気分は暗く、沈みがちでした。

すると、そのせいばかりではありませんが、やはり今年になって再び体調を崩しました。お陰で、想念の影響はすぐ体に出るものだということがあらためてよくわかりました。

そこで、今年は年初から“想念”の建て直しに努力しています。

自分の中の暗い部分、一見マイナスの面も、人のために使うという方向にもっていけばまた違うのではないかとも考えています。

                                                                        

※前の前の記事にブログのデザインを中村さんの『静寂』(海中)にすると書きましたが、客観的に見て、今の時期まだ寒そうなので、元に戻しました。(それになんとなくやっぱり息苦しい…笑)

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January 09, 2007

「孤独」に徹する

本日の朝日新聞夕刊の特集記事で、

壮年男性の『孤独死』が増えているという

記事を読んだ。一人住宅の中で誰にも

看取られずに死に、

残された肉体が朽ちていく…。

『孤独死』は実は、男性だけでなく女性にも多い。

そして、「団塊の世代には単身世帯が多く、

本格的な孤独死の時代はこれから始まる」

らしい(朝日19日付け夕刊より抜粋)。

声をかけよう、何かに参加しよう、積極的になろう、

助け合おう、協力しあおう、…

ということは、周囲の人間に言うべきことであって、

「孤独の只中」にいる本人にとって、

何の救いにもならない言葉であろう。

本人は「孤独」から抜け出そうとも思わないかもしれないし、

抜け出せないから「孤独」なのだ。

ならばどうするのか、もしかしたら、「孤独」という境遇に

徹するという覚悟のみが、窮地から救ってくれるという

場合も有りうるのではないかと考えた。

                         

自分の運命を受け入れること。

その覚悟が流れを変えます」 加藤諦三(心理学者)

                         

まずは「孤独」を受け入れるということしか

残された道はないのではないか。

でも、そこからこそ何かが拓けてくるかもしれないのだ。

                          

高村光太郎に「孤独が何で珍しい」という詩がある…

孤独の痛さに堪へ切った人間同志の

黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ

孤独の鉄(かな)しきに堪へ切れない泣虫同志の

がやがや集まる烏合の勢に縁はない

孤独が何で珍しい

寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの

見通しのきいた眼と眼の力

そこから来るのが尽きない何かの熱風だ

『孤独死』が増えているということは、

もちろん、それ以上に、世の中には「孤独な人」が

大勢いるということである。

自分と同じように「孤独」に暮らしている人がたくさんいる…。

「孤独」に徹し、同じ「孤独」にいる人々に想いを馳せるだけで、

もう「孤独」から抜け出している

というのは、あまりにも現実を見ていない軽率な考えであろうか。

(この文は(水)(木)の記事として書きました)

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好きなものに触れると気道や血管さえ拡げてくれる?

海が好きだ。

河井継之助の言葉にこういうのがある。

「地下百尺の心」

実際は、継之助が語った言葉を誰かが

まとめたようだが、

地下の奥深く、棺桶(かんおけ)の中にいるような気持ちで

物事を考えるという意味らしい。

この言葉がときおり思い出され、

とても役立っているのだが、

喘息もちの身としては、

棺桶に入れられ地中に埋められているのでは

どうも息苦しくて仕方がない。

現に、今も、軽めの発作が起きている。

それより、海の底、誰もいない深海の奥底で、

ひっそりと物を考えている方が性に合っている

ような気がする。

そのため、今回は、ブログのデザインを

この中村征夫さん撮影の海『静寂』にした。

海底も息を止めなければならず

息苦しいように思われるかもしれないが、

                     

今、こうして海を想いながら書いているだけで

少し呼吸が楽になったような気がする。

やっぱり海が好きなのだ。

                                 

好きなものに触れると、自分の気道や

詰まった血管さえ拡げてくれるのかもしれない。

                             

※都合により、1月10日に『静寂』から

 元のデザインに戻しました。

                     

                               

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January 08, 2007

正々堂々と病する

昨年11月の喘息・肺炎に続いて、今年は年初から喘息ほか呼吸器系の異常で家の外にまともに出られない状態。8日の今日もまだ続いている。少なくとも喘息の薬はちゃんと使っているにもかかわらず…。

腎臓肝臓の嚢胞が見つかり、40年間近く使い続けたいっさいの薬を死を覚悟でやめて約4年間。自然治癒力による治療を続けてきて、一昨年の11月、本格的に喘息の予防薬(吸入ステロイド)を使い始めた。それは発作の苦しみに耐えるのが一際つらく感じられるようになったこと、家庭の経済のためもあったが、家族への遠慮も大きかった。なんていったって、妻は“薬剤師”である。それなのに、西洋医学の薬を否定し、使用してこなかった。それで、仕事も家のこともあまりできず、病のままで4年間のうちの少なくとも半分以上は悶え苦しんできたのである。

しかし、予防薬を使い続けてちょうど1年、使っているにもかかわらず時には発作が出てしまう。しかも、肺など呼吸器系の異常、痰がたくさん出るなどの別の症状が伴いより強くなっている。今は予防薬以外の気管支拡張剤なども使用せざるを得ない状況になっている。ようするに、薬を使っていなくても使っていても発作は起きるのだ。いや、発作が起きたときは別の症状を伴い、ある意味でひどくなっている。

自分は生まれてすぐから喘息だった。だから、病も“自分”だ。ぼくの一部だ。これからも病をコントロールしなければならないときでコントロールできるときは薬を使うだろう。

しかし、今年はもう正々堂々と「病をしよう」。“病”でいよう。だから、妻や家族に「ありがとう」と感謝をしても、「ごめんね」とか「悪いね」「申し訳ない」などという言葉を使うのはいっさいやめたい。

病も神様から与えられたぼくの人生なのだ。

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January 07, 2007

意識の転換に自分の内部で寄り添うこと

 パラダイム・シフトという言葉がある。社会全体の枠組みの変動、社会の価値観の移動などと訳されている。

ぼくはかじった程度でお恥ずかしいのだが、儒教とか東洋哲学が好きである。年末年始、いくつもの特番が組まれていた細木数子さんも大儒、安岡正篤先生の教えをベースにした易学など儒教の世界である。だから、細木さんがテレビで語られていることはいちいち納得できるし、共感している。

しかし、ぼくのようなものがいうのも何だが、もう既成の思想・哲学・宗教…の枠組みだけでは、どうしようもない時代となってしまったのではないか。過去数千年間の教えを今の時代に適合させて行くというようなことだけではどうにもならない。それがパラダイム・シフトということであろう。

それは決して、今までの基準を捨ててしまうとかそういうことではない。過去の基準のいいところは大切にしながらも、世界大の大きな組み換えをするということではないか。

これについて、ファンタジー作家のミヒャエル・エンデの言葉がある。

「私たちは、一種の具体的な予言能力によって、これから起こることを予見しなければならず、そこから自らの行為の基準を得なければならないのです。」(『アインシュタインロマン6』より)

そして、「自らの行為の基準」を変えるとは「意識の転換」という言葉に集約されるであろう。その新旧の意識の転換は、もうすでに、ぼくたち11人の内部で起こっているのである。

自分の内部で起こっているこの転換を否定することなく素直に寄り添うことで思わぬパワーがいただけるかもしれない。こうして、きっと、ぼくたちは誰もがもう、人類の歴史始まって以来の世界の大転換という大芝居に参加しているのだ。

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January 03, 2007

新年・・・

あけましておめでとうございます。

昨年はお世話になりありがとうございました。

年末から不摂生の日々が続いたせいか

またしても体調を崩してしまいました。

よって、仕事始めならぬブログ始めは

もうちょっと回復してからにさせていただきます。

(コメントへのお返事もそれからいうことで・・・)

今年1年の皆様の幸せをお祈り申し上げております。

それとともに皆様とともに歩む1年でありたいと願います。

今年もよろしくお願い致します。

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