正々堂々と病する
昨年11月の喘息・肺炎に続いて、今年は年初から喘息ほか呼吸器系の異常で家の外にまともに出られない状態。8日の今日もまだ続いている。少なくとも喘息の薬はちゃんと使っているにもかかわらず…。
腎臓肝臓の嚢胞が見つかり、40年間近く使い続けたいっさいの薬を死を覚悟でやめて約4年間。自然治癒力による治療を続けてきて、一昨年の11月、本格的に喘息の予防薬(吸入ステロイド)を使い始めた。それは発作の苦しみに耐えるのが一際つらく感じられるようになったこと、家庭の経済のためもあったが、家族への遠慮も大きかった。なんていったって、妻は“薬剤師”である。それなのに、西洋医学の薬を否定し、使用してこなかった。それで、仕事も家のこともあまりできず、病のままで4年間のうちの少なくとも半分以上は悶え苦しんできたのである。
しかし、予防薬を使い続けてちょうど1年、使っているにもかかわらず時には発作が出てしまう。しかも、肺など呼吸器系の異常、痰がたくさん出るなどの別の症状が伴いより強くなっている。今は予防薬以外の気管支拡張剤なども使用せざるを得ない状況になっている。ようするに、薬を使っていなくても使っていても発作は起きるのだ。いや、発作が起きたときは別の症状を伴い、ある意味でひどくなっている。
自分は生まれてすぐから喘息だった。だから、病も“自分”だ。ぼくの一部だ。これからも病をコントロールしなければならないときでコントロールできるときは薬を使うだろう。
しかし、今年はもう正々堂々と「病をしよう」。“病”でいよう。だから、妻や家族に「ありがとう」と感謝をしても、「ごめんね」とか「悪いね」「申し訳ない」などという言葉を使うのはいっさいやめたい。
病も神様から与えられたぼくの人生なのだ。
The comments to this entry are closed.
Comments
正々堂々と病する!
この居直った肝っ玉!っていい方は悪いが
そいでも、居直るぐらいで丁度ええと思いまする^^
誰も、好き好んで病になってるわけではありませぬ
モモさんは、苦しんでる・・・そいでも、まだペンを握る腕がある
キーボードを叩ける目と指がある
感謝を忘れたらあかんよね^^
人よりしんどい思いをしてるのだから、すみませんもいらんよね
さて・・・その病を抱えた身の上を、いかにプラスに生かしていくか・・・
モモさんの個性じゃもん^^いかさない手はないよのう^^
Posted by: 弥々 | January 08, 2007 08:38 PM
弥々さん
ありがとうございます。
さすが、弥々さん!
「さて・・・その病を抱えた身の上を、いかにプラスに生かしていくか・・・
モモさんの個性じゃもん^^いかさない手はないよのう^^」
「正々堂々と病する」の居直りには、そういったこともあるのです。
ところが、以前、弥々さんにメールかなんかで書いたときも
書いたと思うのですが、最初は「自分が病だから、健康に医療に詳しくなろう」と
策を練ったわけです。
しかし、今考えると、実に浅はかな考えで、端的にいえば
ぼくは自分の病を治すことを必要から勉強しますが、
他人が病をどうやって治すとか治らないとか、
そんなに好きではないんですね。
それより、その治し方の背後にある、哲学とか思想とか世界観とか
そっちの方に関心がある。治すより感動とか楽しませるとか励ますとか、
生き方とかそっちの方が面白い。
つまり、医学・医療じゃなくて、かっこよくいえば
芸術とか哲学の方が好きなんです。つまり根っからの文系です。
大学は工学部なんですが。
当時、就職がいいから全く自分に合わない工学部を選んだのと同じようなことをしようとしていた。
約4年間、無防備に病と向き合って、すごく感じたのは、喘息というのは
自分の精神や思索というものを掘り下げ、彫り上げてくれる力がある。
(まあ、どんな病も実はそうでしょうが・・・)
よく人生の苦しみといいますが、喘息は息苦しい―苦しみそのものですからね。
すごくおこがましいのですが、星野道夫さんの“アラスカ”になるのではないかと。
それは、喘息専門の物書きになるとかそういうことではなくて、星野さんは
おそらく、アラスカの大自然の中で自己を掘り下げた人でしょう。星野さんが大雪原で一人耐えて被写体を待つように、1ヶ月も2ヶ月も発作が続けて起きるときというのは、孤独でひたすら耐え続けなければならないのです。ぼくの場合は、狭い団地の一室でですが。
ただひたすら、自分の体という“自然”と向き合っているわけです。
だから、これはもっとおこがましいかもしれないのですが、星野さんの文章の中に、ぼくがそういうときに感じた“自然の鼓動”のようなものをすごく感じました。それで共感しました。
発作のときは、本もホームページも読めず、たとえば古典によって自己を掘り下げるようなことはできませんが、発作そのもによって自分の思想を言葉を自分というものを彫ることができる。
(もちろん他の努力もしますが)それを中心に自己の精神を彫っていき、そこから出てきた言葉や考えによって、誰もが人生で苦しんでいると思うのですが、少しでも、できるだけ深く人を励ますようになりたい、というのが、今の自分の夢といいますか、当面目指そうと思っている方向性です。どこまでできるかはわかりませんが、気持ちだけはそうありたいと・・・。
^^いかさない手はないよのう^^は、だから鋭いのです。(そういうことって、なんらかの方向で自己を生かそうとして必死に生きてきた人でないと、わかってもらえないものですよね・・・)
Posted by: モモタロウ | January 08, 2007 10:49 PM