「孤独」に徹する
本日の朝日新聞夕刊の特集記事で、
壮年男性の『孤独死』が増えているという
記事を読んだ。一人住宅の中で誰にも
看取られずに死に、
残された肉体が朽ちていく…。
『孤独死』は実は、男性だけでなく女性にも多い。
そして、「団塊の世代には単身世帯が多く、
本格的な孤独死の時代はこれから始まる」
らしい(朝日1月9日付け夕刊より抜粋)。
声をかけよう、何かに参加しよう、積極的になろう、
助け合おう、協力しあおう、…
ということは、周囲の人間に言うべきことであって、
「孤独の只中」にいる本人にとって、
何の救いにもならない言葉であろう。
本人は「孤独」から抜け出そうとも思わないかもしれないし、
抜け出せないから「孤独」なのだ。
ならばどうするのか、もしかしたら、「孤独」という境遇に
徹するという覚悟のみが、窮地から救ってくれるという
場合も有りうるのではないかと考えた。
「自分の運命を受け入れること。 その覚悟が流れを変えます」 加藤諦三(心理学者)
まずは「孤独」を受け入れるということしか
残された道はないのではないか。
でも、そこからこそ何かが拓けてくるかもしれないのだ。
高村光太郎に「孤独が何で珍しい」という詩がある…
孤独の痛さに堪へ切った人間同志の
黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ
孤独の鉄(かな)しきに堪へ切れない泣虫同志の
がやがや集まる烏合の勢に縁はない
孤独が何で珍しい
寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの
見通しのきいた眼と眼の力
そこから来るのが尽きない何かの熱風だ
『孤独死』が増えているということは、
もちろん、それ以上に、世の中には「孤独な人」が
大勢いるということである。
自分と同じように「孤独」に暮らしている人がたくさんいる…。
「孤独」に徹し、同じ「孤独」にいる人々に想いを馳せるだけで、
もう「孤独」から抜け出している
というのは、あまりにも現実を見ていない軽率な考えであろうか。
(この文は(水)(木)の記事として書きました)
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Comments
孤独というのは、心のなかにあるものだから、
心のなかに繋がっているものがあれば、
その人は孤独ではないのかもしれないですね。
人は死ぬときに、すべての繋がりをほどいて、
天の国へと旅立っていくのだから、
死ぬときはみんな孤独。。。
でも空に結びついていくから、もう孤独じゃない。
、、、かな???
Posted by: こぞう | January 28, 2007 08:46 AM