“ロダン”がミケランジェロの作品に見た人間とは?
(まがさして?ちょっと長いのを久しぶりに書きます)
NHK番組「迷宮美術館」で、ロダンを見た。
ミケランジェロの作品にイタリアで触れて、
“人間”を描くようになったという。
ロダンがイタリアを旅し、強く共感した
ミケランジェロに見た人間とは、
番組の中で紹介された『青銅時代』
(オーギュスト・ネイトと言う人物をモデルにした
等身大の男性像で、極めて緻密でリアルな作品)
のような、ただ単に精巧な肉体を描くということ
だけだったのか。
いや、そんなはずはない…。
ぼくは番組を見ながら自問自答した。
そういえば、彼の代表作の1つである『バルザック』は
他のどの彫刻家よりも、文豪バルザックの真の姿を
とらえているという…。
数世紀を経て師弟関係を結んだミケランジェロとロダンの
邂逅をもっと知りたくなった。
これは、ネットの百科事典で知ったのだが、
ロダンのライフワークであった『地獄の門』、
その実際の鋳造は,死後,松方幸次郎という
日本人によってなされたらしい。
松方幸次郎とは、松方正義の子で、松方コレクションの
蒐集家としても知られる。
そして、その松方コレクションを中心に展示が
なされているのが、上野の国立西洋美術館である。
ぼくは日本美術を見るようになる前に、
国立西洋美術館が好きで、
西洋美術に関する知識はあまりないにも関わらず
引き寄せられるように、幾度か通った。
今思えば、ロダンとの出会いも、そこだった。
そして、その国立西洋美術館のロダン展で、
作品を演出したことがあるのが、
ぼくの高校の剣道部時代の後輩だった。
彼は優秀で、芸大に入った。
卒業してからは、美術関係の会社に入社した。
学生時代だったのか、就職してからだったのか覚えていないが、
国立西洋美術館の「ロダン展」でロダンの作品を並べた。
つまり“演出した”のだ
(この表現でいいだろうか。
美術に関して、正確な言葉をぼくは知らない)。
ロダンの作品を直接に触れることができて、
後輩は、感銘を受けた、一生の思い出となったと言っていた。
彫刻も、日本の茶器などと同じように、実際に触れてみると、
一段と、その魂がわかるのだろう。
その後輩は、喘息と肺炎を併発して、20代の若さで
死んでしまった。
そういえば、彼が高校1年生のとき
上級生の1人であるぼくに親近感をもってくれたというのも、
同じ喘息もちだったということも影響していたようだ。
彼が死ぬ少し前、高校を卒業して初めて数年ぶりに、
JR新宿駅でばったり出くわした。
今、思えば不思議なことだ。
「最近は、喘息が出てしょうがないんですよ。
○○さん(ぼくの本名)はどうですか?」と言っていた。
ぼくの喘息を覚えてくれていた。
彼は飛び抜けた努力家だった。
発作がひどく、風邪を引いていても、
無理して仕事を続けていたのだろう。
実は、ぼくは現実世界では、理想とできる人間には、
めったに出会えない。
その数少ない理想の人間像の1つが、生身の人間ではないが
ロダンが作った「ビクトル・ユゴー」の頭部像である。
20代前半だったと思うが、
東京都美術館で見て以来、その“頭”に惚れて込んでしまった。
こんな頭―人間になりたいと思った。
ユゴーそのものではなく、ロダンが彫ったユゴーの頭部に
あこがれたのである。
ただ、ロダンの『ユゴー』であるから、その像にはユゴーの
本質が込められているのかもしれない。
だとしたならば、やはり、自分は
他ならぬ“ユゴー”に共感したとういうことなのか。
今度、できれば、その頭部に触れてみたいと思う。
もちろん許されるならばだが…。
(まずい!零時を30分以上も回ってしまいました。少なくとも22時前には寝たいと思っているのに…、なんたることだ…。はやく寝よっと)
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