再び人間の細分化について・・・
ギリシア悲劇、ソポクレスの『オイディプス王』(藤沢令夫訳)を再読していて、
そのまえがきに、感銘を受け、共感をした一節がありました。
(前略)しかしながら他方、このような「哲学」とか「文学」とかいった区別は、われわれの限界狭小(スミークロギアー)がこしらえあげたものであり、こんにちのわれわれにおける、経験そのものの分裂を意味しているとも言えよう。ソポクレスにせよ、プラトンにせよ、ヨーロッパの古典的世界における第一級の精神家にとって、このような経験の分裂ほど無縁なものはなかった。(後略)
(注)ソポクレスは劇作家、プラトンは哲学者
時を同じくして読んでいた17世紀フランスのモリエールの戯曲に、やはりギリシアの名医、ヒポクラテスの以下の言葉が引用されていました。ぼくにとっては、重要なシンクロニシティー(偶然の一致)でした。
「人生は短く、一芸に達するには長い時間がかかり、経験は信頼するに足らず、評価することは困難である」
「すべてのものを教えるのは経験である」
医師でありながら、まるで、文学者、哲学者のような言葉です。
古代ギリシアでは、哲学も文学も、医学でさえも、その領域には、現代のように明快な境界線が引かれていなかったのでしょう。
古代ギリシアについて、いずれは、ぜひもっと勉強をしたいと考えていますが、
ギリシアに限らず、
“哲学”と“文学”と“医学”。
これは、自然の成り行きの中で、
ぼくの人生に課せられたテーマでもあります。
たとえば、このブログの主要テーマとして今のところ、掲げている3つの柱の1つ、「健康」はようするに「医学」であり、
「人間性を高める」は「哲学」のことであり、「表現する・創造する」はつまりは「文学」です。
(このブログではどこまでできるかはわかりませんが、ようするに、自分で自分の人生に課しているテーマということです・・・)
3つなんて、欲張り過ぎだと思われるかもしれません。
しかし、それは見る方向が違うだけであって、
追求すべきはたった1つなのです。
つまるところ、根本にある“人間”なのです。
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