自分というステンドグラス
(前の記事の)着ぐるみだと暑苦しくて、
重くって着ているのがほんとう、
いやになっちゃうかもしれません。
着ぐるみというより、ステンドグラスにたとえた方が
しっくりくるなんて思ったりします。
一人一人には、神様から、自分というステンドグラスを
“与えられて”いる・・・。
その模様が気に食わなかったりしても、
たとえ、それに少しは付け足すことはできても、
自分勝手に根本から消したりはできません。
消すときは、命の火を消すときだけです。
ただ、その明るさや色は、自分しだいで、
どのようにも映し出すことができる。
それぞれの人が、自分というステンドグラスに
光を当て、ますます美しく輝かせればいいわけです。
反対に、
ステンドグラスを暗く見えなくするのも、
曇らせるのも、自分次第です。
そして、その唯一の光源(光のもと)は
自分の“魂”なのでしょう。
魂さえ輝けば、自然、ステンドグラスも
美しく見えるわけです。
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