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April 10, 2007

自分というステンドグラス

(前の記事の)着ぐるみだと暑苦しくて、

重くって着ているのがほんとう、

いやになっちゃうかもしれません。

                                     

着ぐるみというより、ステンドグラスにたとえた方が

しっくりくるなんて思ったりします。

                                 

一人一人には、神様から、自分というステンドグラスを

“与えられて”いる・・・。

                                   

その模様が気に食わなかったりしても、

たとえ、それに少しは付け足すことはできても、

自分勝手に根本から消したりはできません。

消すときは、命の火を消すときだけです。

                                      

ただ、その明るさや色は、自分しだいで、

どのようにも映し出すことができる。

それぞれの人が、自分というステンドグラスに

光を当て、ますます美しく輝かせればいいわけです。

                                       

反対に、

ステンドグラスを暗く見えなくするのも、

曇らせるのも、自分次第です。

                                       

そして、その唯一の光源(光のもと)は

自分の“魂”なのでしょう。

魂さえ輝けば、自然、ステンドグラスも

美しく見えるわけです。

                     

                              

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