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April 09, 2007

着ぐるみという存在の本質~与えられるということについて

(前の記事をうけて)

与えられていることというのは

存在にとって本質的なことです。

                                    

なぜならば、この肉体と心という

“着ぐるみ”をはがしとられてしまったら、

たちまち素っ裸になって、

存在していないということに

なってしまうのですからね。

                                   

パンダの着ぐるみだったり、

クマの着ぐるみだったり、

ときには、ピエロだったり、

ウルトラマンだったり、

キティーちゃんだったり・・・

人間は、それぞれ、みんな着ぐるみを与えられています。

                                                 

ところが、その着ぐるみというものは、

やっかいなことに、いやだからといって、

自分じゃ、脱ぐことも、取り替えることもできません。

できるとすれば、おそらく、死んで

生まれ変わるときだけでしょう。

                                           

生まれ変わるとは、たとえば、

パンダの着ぐるみからワニの着ぐるみに

着替えることをいうのでしょうね。

                                  

実にせこい話ですけど、

ある番組のプロデューサーが、

制作費を節約するために

自分でキャラクターの着ぐるみを着てました。

                                       

でも、途中で何度も脱ぎたがっていました…。

                                               

あたりまえですよね。

慣れてる人でさえ、大変なんですからね…。

                                                  

実は、ぼくももう何度脱ぎたいと思ったかしれません。

この着ぐるみを・・・。

                                                                                                                                                                                   

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