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April 11, 2007

雑草は雑草のままで・・・、色が光となるように

1つ前の記事を書いていたら、以下の文章を思い出した。

                                                      

どうしようもない自分、あいもかわらずの

自分にしょげているときに、

ここ15年以上、ずっと、ぼくの中にあって、

懸命に励ましの声を発し続けてくれている

文である。

この言葉さえあれば、

これからも生きていけそうな気がする・・・

                                                      

 一個の雑草として花咲き、山から流れてくる水に生かされ、風に生かされつづけた(種田)山頭火は、昭和十年十二月二十日、「雑草風景」というすばらしい文章を書いている。

風景は風光とならなければならない。音が声となり、かたちがすがたとなり、にほひがかほりとなり、色が光となるやうに。

 私は雑草的存在に過ぎないけれども、それで満ち足りている。雑草は雑草として、生え伸び咲き実り、それでよろしいのである

 なるほど、「色が光となるやうに」か、と私は長嘆息した。

 般若心経は、色即是空し、色即是空した果てに空即是色する世界を教えてくれているが、色が光となることもあるのだ。

 形あるもの、存在するものが光を発する。

(中略)

 色即是空していくきびしい生き方とは別に、色は色のままで光を発する、という生き方もあるようだ。  

                     紀野一義著『般若心経講義』

                                                   

 「色が光になるやうに、雑草は雑草のままで輝くこともできるんだ!」

                                                   

 ここに書き写しただけで、救われるような気がする。

                                                  

     色が光となるやうに・・・、

     色が光となるやうに・・・、

     色が光となるやうに・・・、

                                                   

 もしかしたら、ほんとうに、神様のお役に立つ、世のため人のためになるというのは、そういうことなのではないか・・・。

                                                   

 神様の願いとはそういうことではないか・・・。

                                                    

 どうか私は私のままで光となるやうに・・・。

 どうかあなたはあなたのままで、光となるやうに・・・。

                                                  

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