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April 07, 2007

再び「自信」について

2つ前の記事の続きです。

ジャンルでいう芸術・芸能的、

もしくは人格・思想の方向に

傾いてしまいましたが、

“続き”ということで今週、書きます)

                                      

かの岡本太郎氏は、

「自信なんてどうでもいいじゃないか」

と書いています。

つまり、他人と比べて、

自信があるとかないとか考えるのは

くだらない。バカでも下手でも、自分は自分。

自分は絶対なんだと。

他人と比べるという意味で、

自信をもつのは意味はないと

ぼくはとらえました。

自分はどうあれ、天から与えられた

たった1つの尊い存在ということです。

                                          

自信というのは何に対していうのか、

いろいろな角度から思索することができるので

まずは、感覚や感性に絞ってみます。

                                        

脚本家の三谷幸喜氏が書いていましたが、

自分は自分が面白いと感じることを書くしかない、と・・・。

そして、その自分が面白いと感じたことを

人々も面白いと感じているからこうして

食べていけているわけで、

自分が面白いということを観客が面白いと

感じなくなってしまったら、

食べていけなくなるのだと。

                                      

特に、ビジネスとしてやるのではなく、

自分の芸術・芸能・学問…

などの人生のテーマを

己に忠実に追求して行く道を歩く

(漱石のいう“道楽”)ということは、

すなわち、自分の感覚、感性を信じることです。

信じるという言葉を使わないならば、

それを“大切にする”ということでしょうか。

そちらの方が言葉として

合っているかもしれません。

                                       

(常に、自分や感性を磨いて行くというのが

前提ですが、

現時点での感覚・感性というものを

大切にしなければならないと思うのです。

そして、感覚・感性を大切にするということは、

たとえば、“面白い”という感覚の場合、

自分は何が面白いのか面白くないのか、

どこが面白いのか、

ほんとうに面白いと思っているのかどうなのか、

明確にする必要があるのです。

他人が面白いと思うかどうかの前に、

自分がそれをほんとうに面白いと感じているか

どうかが大切なのでしょう)

                                      

自分の感性、感覚を信じていくということは、

その感性、感覚に共感する人が一人もいなかったら、

誰も評価してくれない。当然、経済的にも、仕事としても

成り立たないということです。

                                      

それはそれで仕方がないことです。

                                      

ただ、こうして、“自分”を信じて、

“自分”を大切に歩んだ人のみが、

芸術や芸能ならば真に心を打つものを、

学問なら社会に後々までも貢献して行く

有意義な研究を完成させるのでしょう。

                                         

「死生命有り、富貴天に有り」

(人間の生死も、富貴・貴賎もすべて天命であり、

個人ではどうすることもできない―『論語』より)

                                        

自分の背中に自分を後押しする

風がなびくか、なびかぬかは、

神のみぞ知るのだ、

ぼくはそう気づいたとき、自分の目指すべき方向が

以前より見えたような気がします。

                                         

ただ、実業家の斉藤一人さんが、

「ツイてる、ツイてる(―運がいい)」と

唱えることを勧めているのと同じように、

芸術、芸能、学問・・・など

漱石のいう“道楽”を天職とする人は

自分の感覚、感性が世間に必ず通用する、

いつかは認められると信じる、

もしくは、生きている間に認められなくとも、

追求して行くことは、それはそれで

とても意義のあることなのだ、

もっといえば、現世で実らなくとも来世で実る・・・

という科学的な視線からいえば

まるで“根拠がない自信”をもつことも

大切なのでしょう。

                                           

そこらへんは信仰に近い(宗教ではなくて)と思いますが、

ぼくのような人間には欠かせないことだと考えています。

                                         

つまり、自分の感性や感覚などの中身を信じる、

あるがままの自分がこの世で

ただ存在しているだけでもいいと

自分の存在価値を信じるとともに、

お天道様(たとえば神様や仏様、天、守護霊など・・・)

が守っているから

絶対になんとかなるんだ、死後のことまで考えれば

なんとかならないことはないのだと信じること。

                                         

ぼくは、その両方が必要なのではないかととくに

自分自身に対して考えるのです。

                                             

ところで、こうして書くのは簡単なのですが、

実行するのは大変です。

家族の生活がかかってきますし、

貧乏するわけにはいかないから、

“道楽(自分にとってもっとも大事な仕事)”

と“稼ぐための仕事”両方をやらなければならない。

そして、そう生きようとしても、いろいろな事情により

ままならないことが多いからです。

でも、またそうした苦労が自分を鍛えるためにも

必要なのです。

                                         

ぼくの今後の方向性として、また理想の生き方として、

以上のようなことを考えています。

どこまでできるかどうかは、わかりませんが・・・。

目指す方向ははっきりしておきたいので、

あらためてここに記すことによって、

心の整理としました。

                                              

これからも、

自分も他のすべての人も

神様が必要があって生かしているのだ、

から人間の存在そのものに

価値があるということと、

そうした、

われわれ11人に使命を与えている神様が

確かに存在するのだということを

「信じて」生きていきたい、

それが自分にとっての「自信」です。

                     

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Comments

より一層、明確に理解ができましたん^^おおきに^^
そうさのう、モモさんに共鳴するのは、吾も同じような思いを抱くものだからかのう^^
モモさんが、自己への後押し、備忘録として
この時期に、ここに書き記した事・・・しっかり受止めさせて頂きましたん^^
大事な事ですなぁ・・・おおきに^^

Posted by: 弥々 | April 07, 2007 at 09:45 PM

弥々さん

ありがとうございます。
そういってくださると、勇気づけられます。

弥々さんも(協力者はいっぱいいるのでしょうが)
己の身1つで、前途を開拓していかなければならない境遇ですものね。

「まぁ、とにかく、ジブンを信じてやらねばのう・・・
ジブンを信じられなくなったら、死んだも同然だもんなぁ・・・」

ほんとう、そうですね。

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えるなかれ。ただ一燈を頼め(『言志録』)」

そのたった1つの“一燈”とは、人によって違うのでしょうが、
ぼくの場合は、神様から与えられた自分という存在(魂)ではないか
と今、思っています。

Posted by: モモタロウ | April 09, 2007 at 09:51 PM

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