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November 30, 2007

自国で“使用禁止”を日本になぜ売りつける?!

ウイルス性肝炎の問題が、連日新聞やテレビで報道されている。これについて、ぼくは全体像をまだ把握できていない。

同じように薬害事件で、思い出すのは、血友病患者への非加熱製剤で、HIVに感染した件である。川田龍平氏が運動のシンボルのような存在となった。

これについて、あまり表ざたにされていないと思われること(少なくともぼくは把握していなかった・・・)で、重大なことがある本に出ていた。

それは、

     アメリカは自分の国で使用禁止としていた非加熱製剤を日本に輸出し売りつけた。

ということである。

そして、

     そのアメリカの製薬会社の責任を問う声が日本では持ち上がってこなかった。

ということである。

        ユースタス・マリンズ『医療殺戮』を参照

この悪行を知っていて、腹立ちもせず、情けないとも思わない日本人は人間ではないのではないか・・・。

今回のウイルス性肝炎についても、被害者に対して親身になって対応するとともに、その背景について、国民はよく調べ、知っておくべきだろう。

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November 28, 2007

善悪あるがままを見る

                                      

ぼくは、世の中は「泥だらけの中に、蓮の花を咲かせている」のがあるがままの姿であると思う。

現代の日本では、みんな勇気が無いのか、それともやっかいな事に巻き込まれたくないのか、自分だけ平穏であればいいと思っているせいか、“泥”を意識的に見ないようにしている人が多い

たとえ小さな悪を暴いたり裁いたり皆でつつくようなことをしても、その奥にある巨悪やおぞましいほどに醜いXを誰もが見ることさえしようとしないのではないか。

プラス思考は大切だが、それはあらゆることを受け入れる“肯定”ということであって、“泥”を決して見ないで、“蓮の花”だけを見るということだけであったなら、断じてならない。

汚いものも醜いものも悪も、美しいものもきれいなものも善も、目に入ってくるすべてのものをあるがままに見る努力をすべきだ

すると、こんなにも“泥だらけ”だったのかと驚くこともあろう。

でも、その中にも、ポツンポツンと、この世のものとは思えない美しさで咲いている“蓮の花”があることに気づくだろう。

私たちがしなくてはならないのは“泥を見ない”ことではなくて、“泥の中に花を咲かせる”ことであり、泥の中に“蓮の花”をどんどん増やしていくことなのだ

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November 26, 2007

病は「正常」!・・・?

1つの見方をすれば、

病とは、バランスを取るためにつくられるものである。

健康がただ普通にしていて

バランスが取れている状態であるとすると、

病とは崩れたバランスを取り戻すために発生するものである。

だから、少しわかりにくいかもしれないが、

より広い目で見れば、

病がある状態は、バランスが取れた状態なのである。

シーソーを例に取れば、

右に乗った子どもと左に乗った子どもがちょうど同じ体重で、

左右均衡に保たれている状態が“健康”だとしよう。

ところが、片方の子ども(たとえば右)が重いとすると、

左右を均衡に保つには、軽いほうの子どもの側に

何か“重石”を乗せなければならない。

その“重石”にあたるのが、“病”なのである。

“病”があってこそバランスが取れるのである。

だから、“病のみ”を見ると「異常」に見えるだろうが、

より広い視野で見れば、

“病”によって全体のバランスが取れている

“正常”な状態なのである。

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November 24, 2007

「治す」のではなく「治る」

自然流子育ての小児科医、真弓定夫先生の病院に

今日、行きました。

その中で聞いた言葉を(他の方の診察のときに聞こえて

きたことも含めて)紹介しましょう。

                                    

「治す」のではなく、“自然”に少しずつ「治っていく」のですよ。

                                 

アトピーは皮膚の病気じゃありません。

                                                                        

“牛乳”を人間の赤ちゃんに注射すると死んでしまう。

                                                            

                                

政治家の汚職は一部の人に対してだけだけど、

●業や医師は、もっと多くの人(市民)に対して

行っているのですからね。たちが悪い。

                                               

(以上、私が記憶をたどって勝手に書いたものです。細かい言葉の言い回しなど正確でない部分もあるかもしれません。)

                                                   

                                                  

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November 23, 2007

真の健康を得るには“物心両面”が大事

健康を保つため、健康になるために

プラス思考はとっても大切だと思う。

だから、できるだけ自分や他人、世の中の

いいところを見るようにしたほうがよい。

ただ一方で、たとえば、食品添加物や農薬、

現代医学の矛盾…など、世の中のマイナス面も

目をそらさずに見つめ、改善していくことも

人類そして自分が、永続的に、真の健康を

得るためにも不可欠である。

このことについて、岡田茂吉のこれらの言葉を

紹介したい。

物質を度外し、精神方面だけの解決では

実際上の救いとはならない

物心両面の解決こそ真の安心立命の境地に

救い得られるのである

そして、この言葉も付け加えたい。

物心共救いの根本は、病気を解消し

健康人たらしめること以上のものはない

プラス思考をし、

社会のマイナス面もしっかり見つめ改善し、

自分も含めた“あらゆる人が健康となる世”を

創っていこうではないか。

(以上、引用は岡田茂吉・昭和24年論文『真の救いとは何ぞや』より)

                                           

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November 22, 2007

「治る」のではなく「少しでもよくなる」

今月行われた日本ホリスティック医学協会の

20周年シンポジウムで、

会長の帯津敬一医師はこう語られている。

西洋医学は「治す」のが目的。

代替医療は「癒す」のが目的。

だから、代替療法を受けていて、

「治らない」からといって文句をいうのは

お門違いである。少しずつでも、

「癒されていく」のが代替療法の本質であるのだから。

―そんな意味のようだ。

これは運動や食生活も含めて、自分の力で病をなんとかしよう

健康になろうとしている人にとっても、大切な感覚であろう。

1000歩譲って、西洋医学が「治る」としょう。

少なくとも、風邪を根本から「治す」ことはできなくとも

風邪の症状である「咳」を止めることできる。

一方で、代替療法(自分で行う民間療法も含めて)では、

西洋医学ほどすぐにぴたりと咳を止める

のは難しいことが多いであろう。

しかし、「改善する」ことができる。

「少しでもよくならせる」ことができる。

これがとても大事なのだ。

西洋医学は「咳がすぐに止まる」かわりに、その他の何かを失っている

可能性が多いのだ。その1つが、副作用というものである。

もしかしたら、体力がわずかでも弱ってしまったかもしれない。

ところが、多くの代替療法と呼ばれる療法や民間療法では、

「咳がすぐに止まらない」かもしれないが、

「少しずつ止まって」いく。

だから、失うものはない、

少なくとも西洋医学よりは失うものは少ない。

われわれは、民間療法でも自分でやっていて、

すぐに完全なる結果に到達しなければ

だめだと思ってしまう。

咳で言えば、完全に止まるか、完全に止まらないか…。

この病の見方が、悲劇を生んでいる。

完全に止まらなくても、少しでも止まればいいじゃないか。

すぐに止まらなくても、少しずつ止まればいいじゃないか。

その積み重ねの向こうに、完全なる治癒があるのだ。

それが、“大自然”のありかたというものである。

だから、自分で努力するなり、

代替療法を受けるなり、

つまり自然治癒力の賦活をベースにした

“自然療法”を

行う場合は、

少しでも、よくなったら、

「よくなりました。ありがとうございます。

感謝します」

と、つぶやくことがとてもとても大切なのだ。

                                     

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November 21, 2007

食後は体を動かした方がいい?(『養生訓』より)

日中も家にいることが多いので、

妻の分と2人分の昼食をよく作る。

自分で作ると、卑しい根性が出てしまう

のだろうか、

たくさん作りすぎて、残すのももったいないから

食べ過ぎてしまう。

そのまま、家にいると、なかなか消化されずに、

息苦しい状態がえんえんと続く。

とうぜんのごとく作業能率は下がる。

ところが、今日は昼食の直後に動いた。

急坂を自転車立ちこぎというけっこう激しめの運動。

おかげでだいぶ、おなかは楽になった。

ここで疑問が残る。

食後すぐに運動をしてもいいものかどうなのか。

子どものころから

消化に悪いから30分はじっとしていなさい。

といわれ、なんとなく実行してきた。

一方で、私の世代では、

「食べてすぐ寝ると牛になる」と

耳にたこができるくらいまで聞いてきた。

だから、牛になるのが怖くて、食べてすぐ、

横にはならないで来た。

はっきりとした出所はわからないが、

おそらく前者は、西洋医学的な見方、

後者は、道徳上の見解として、伝えられているのだろう。

ところで、食べてすぐ後に、体を動かした方がいいのか。

それとも、休んだ方がいいのか、

どちらが正しいのだろうか。

自分の経験からすると、動かした方が調子はいいようだ。

それを裏付けるような資料がある。

(以下、講談社学術文庫『養生訓』より)

飲食いまだ消化せざるに、早く臥しねぶれば、食気ふさがりて甚(はなはだ)元気をそこなふ。

〔訳文〕

 食後、飲食の消化していないのに臥してしまうと、食気をふさいで大いに元気をそこなふ。

又風寒暑湿の外邪をおそれふせぎ、起居動静(どうじょう)を節にし、つしみ、食後には歩行して身を動かし、時々導引して腰腹をなですり、手足をうごかし、労働して血気をめぐらし、飲食を消化せしむべし。

〔訳文〕

 また、風・寒・暑・湿の外邪をおそれ防いで、起居振舞に節度をもって慎み、食後は適度の運動をし、ときどき養生法としての導引をして、腰や腹をなで摩擦し、手足をよく動かし、労働して血気を循環させて飲食したものをよく消化させなければならない。

食後に、寝るのはだめ。そして、食後に運動は適度にした方がいい(激しいのはよくないでしょう)。それから、こうも書かれている。

食は半飽に食ひて、十分にみつべからず。(訳文―食事は腹八分がよくて、腹いっぱいに食べてはいけない)」

 ぼくの場合、まずは「腹いっぱいに食べない」ことから始めた方がよさそうだ、 

                       

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November 20, 2007

悪化するインディオの健康状態

ブラジルにはインディオ(先住民)が住む。(中略)

穀物地帯マトグロッソ州などに広がるシングー地域。保護区の間際まで大豆畑や牧場が迫る。農薬が川に流れ込むことで飲み水が汚染されているのだろうか。ひどい下痢を訴えるインディオも多い。焼き畑の煙で肺をやられたと訴えるのは、子どもたちだ。

 

 同州コリデルにあるインディオ向けの治療所は約100床のベッドが常にいっぱい。治療所チーフのベモーロさんは村々を回りインディオの健康状態を調べる。「80年代初めから問題が起きてきた。水質などをしっかり調査する必要がある」

 (後略)

   20071119日朝日新聞夕刊「地球異変 アマゾンで『開発の波 先住民を圧迫』」より

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November 19, 2007

世界の貧困の原因=日本人の不健康の原因

                                     

日本人の健康を語る上で、なぜ、海外の貧困も見つめなければならないのでしょうか。日本人が健康を崩している原因も、世界にはびこる貧困も、元をたどれば同じことから来ていると考えるからです。

日本を含むアジアや東南アジア、アフリカ、南米、アメリカ先住民、各地の原住民を、西洋文明(この表現に語弊があるかもしれませんが、ここではこうしておきます)が、自分たちの欲望を追求するために、宗教による洗脳、そして脅しによって言うことを聞かせようとしました。言うことを聞かないと、戦争をしかけ人々を虐殺し、その土地の文化を崩壊し、破壊してしまいました。その彼らにとってはきれいになった土壌で、無理矢理に自分たちの文化を押し付け、商売を始め、金儲けを始めます。(今、イラクで同じことが行われています)

自分の国の文化を失った国では、健康が損なわれ、永続的な富を得ることはできなくなります。

                                     

なぜ、健康が損なわれるのか。それは土地々々の気候・風土の中で培われた文化(とくに、中心は食文化)があればこそ、その地域の人間の健康は保たれるからです。日本人はとくにハンバーガーやステーキを日常的に食べ、コンクリートに囲まれた家の中で暮らしているのでは、ほんらい健全な心と身体を保つのは困難なのです。

それでは、文化が崩壊させられてしまうと、なぜ、富も崩壊するのか。この場合の“富”の定義は、金がたくさんあることでなく、家族や周囲の人々が幸せに暮らすことと定義します。お金(世界経済におけるマネー)がなくても、たとえば、アマゾンの原住民はジャングルの中で十分に幸せです。いや、幸せでした。その状態にあることこそが、彼らにとっての“富”ではないでしょうか。金や物質が豊かであることだけが“富”ならば、“富”という言葉は人間の幸せとは無関係になってしまいます。

日本の江戸時代の庶民の多くも、そんなに金はなくても幸せに暮らしていました。

それに比べて現代の日本人はどうでしょう。第2次世界大戦、そして、戦後の経済戦争の只中に置かれ、今は家族が崩壊し、心や身体の病も激増し、ほんとうに幸せだといえる人はどれくらいいるでしょう。

金という富に限ってみても、国は借金まみれ、日本人の個人資産も危うい状況にあるのではないでしょうか。

だから、世界の貧困を根本から見つめていくこと。日本人が真の健康を取り戻すためにも、まずは、そこから始めていくことが必要であると考えるのです。

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November 16, 2007

育児を助ける子育てパートナー

                                      

先週、子育てを支援するバディチーム

(現在、NPO法人申請中)の

代表の方に会いました。

日本ホリスティック医学協会を通して、

以前よりお付き合いのある方です。

(こちらのブログにもコメントをいただいたことがある

リュウノママさんです。

―ブログは“ママのスペース 

                                      

“虐待”がよく話題にのぼりますが、

子どもたちと子育てをする親たちは

今、マスコミなどで知られる以上の

きびいしい状況にあります。

                                       

 

○一人親の家庭

○子育て不安、育児ノイローゼ

○産後うつ、母親の精神・身体疾患

○子どもが精神的に不安定

○障害をもつ子ども

○虐待の疑い

○家族の再統合

・・・・・・・  その他

                                     

現場でさまざまな

家庭をみてきている方の

お話であるだけに、切迫感をもって

心に響きました。

 その中でも、子どもを育てる1人の父として、

特に心に残ったのは、今、父子家庭が増えていて、

そのお父さんたちが窮状にあることです。

母親がいる我が家とは異なりますが、

父親だけで育てる困難さが

自分の経験より想像できるだけに

他人事とは思えませんでした。

                                           

NPO法人(申請中)バディチーム

http://buddyteam.web.fc2.com/buddy/index.html

とは、そんな子育てに困難さをもつ家庭に伺い、

お話を聞いたり、家事・育児の
お手伝いをする「子育てパートナー」の活動を行います。

それとともに。

「子育てやこころと体の健康に関する講座」の開催など、

様々な子育てに関する活動を行っていく組織だそうです。

(私も会員になりました)

                                         

協力したい方、利用をしてみたい方、関心のある方は、

まずはホームページを訪ねてみてください。

バディチーム

http://buddyteam.web.fc2.com/buddy/index.html

バディチームのスタッフ日記
http://buddyteam.blog117.fc2.com/

                                                      

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合成された製薬を人体は認識しない

ビタミン、ミネラル、アミノ酸は人の命や体を作り上げているブロックであり、余剰が出た場合でも、人体はこれをなんら問題なく排除できます。

 この点、合成された製薬は非常に異なります。こうした薬は合成されたもので、人体はこれを認識できません。このため、ほとんど全ての製薬には強い副作用が伴うのです。1998415日に発行されたJournal of the American Medical Association によると、先進工業国での死因の第4位として製薬による致命的副作用が挙げられています。

   (市民のアジェンダ:マティアス・ラス博士へのインタビューより)

                                     

 このことについて、“ゴミ拾い”を継続的にしたことのある人なら、よくわかるでしょう。落ち葉や昆虫、動物の死骸にしても有機物は、土の上に捨てられて土へと還元されていきます。ところが、プラスティックなどの化学物質、紙などでも表面にそうした物質が塗布されている物は、土に捨てられるといつまでたっても分解されず残っています。

 人間が拾って捨てない限り、そこに残っているものなのです。

 これは人間の体でもそうです。薬剤や添加物などの化学物質を体に入れると、尿や便、汗…で外に出ずに取り残されたものは、いつまで経っても体内に残っています。それが、病の原因となります。

つまり、病とは、そうした体内に残存した不用物を外に排出する作用-“浄化作用”なのです。

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November 08, 2007

喘息患者に朗報?・・まだ早いか

                                                  

昨日、朝日新聞朝刊で、

喘息の新しい治療法に関する記事を見つけた。

以下にくっつけたサイトは、その大元の情報だと思います。

http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2007/071017/detail.html

 マウスに効いたからといって、人間に効くかはわからない。

でも、効果があってもし副作用が少ない治療法なら、

喘息患者さんにとってこの上ない喜びす。

 素人には難しい内容で、私もよくはわからないのですが、

一応、部分的に貼り付けます。

                                                            

                                                          

(貼り付け開始)

アレルギー性喘息を防ぐ新規治療法が大きく前進
- 制御性樹状細胞を用いて
マウスのアレルギー喘息の治療に世界で初めて成功

◇ポイント◇

  • アレルギー喘息の抑制に樹状細胞と制御性T細胞が関与する仕組みを解明
  • 制御性樹状細胞の投与でアレルギー喘息を治療
  • ヒトのアレルギーに新たな治療法の可能性

 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、白血球の一種である樹状細胞※1の機能を制御し、マウスのアレルギー喘息を抑制することに世界で初めて成功しました。これは、理研免疫・アレルギー科学総合研究センター(谷口克センター長)樹状細胞機能研究チームの佐藤克明チームリーダーらによる研究成果です。(中略)
 研究チームは、マウスアレルギー喘息モデルを活用し、独自に開発した免疫機能を修飾した樹状細胞「制御性樹状細胞※2」を静脈注射で投与すると、「制御性T細※3」の誘導を介してアレルギー抗原※4特異的なTh2細胞※5の活性化を阻止し、アレルギー性喘息を治癒する効果をもたらす、という結果を得ました。今回マウスに用いた制御性樹状細胞は、ヒト制御性樹状細胞でも試験管内で免疫調節機能が確認されており、難治性アレルギー疾患の画期的な治療法につながる可能性があります。(後略)

(貼り付け終り)                              (以上)

                                                         

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November 07, 2007

We are the world

あらためて

これをちゃんと見つめることからはじめれば

ぼくたちの問題も根本から解決されるかもしれない。

We are the world.

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他人の痛みがわかってはじめて幸せになれる

病気とか、人間関係の悩みとか、

仕事や経済面での苦しみとか

すべての苦しみ、かなしみ、痛みは、

他人の苦しみやかなしみ、痛みが、

少しでも深く分かるようになるためにあるのである。

そして、他人の苦しみ、かなしみ、痛みが少しでも

深くわかるようになるということが、

きっと、

物質的に豊かであるとか、出世するとか、

社会的な成功をおさめることではない、

自分がほんとうの幸福になるための

最大の条件なのである。

人は自分が苦しみ、かなしみ、痛みを受けなければ

他人の苦しみ、かなしみ、痛みはなかなかわからない。

だから、その人にほんとうの幸福をもたらすために

神様は、病気や争い、経済苦を与えるのである。

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November 06, 2007

とにかく生きてください、生きてください・・・

(実は、以下の文章はたしか、今年9月ころに書き、このココログにも書き込んだのですが、思い直して“削除”してしまったものです。もう記事を書いてしまった今となっては、同じことですので、あらためて書き込んでおきます)

                                                          

ずっと書き込みを休んでいて、これから再開するというわけではないのですが、書き込みたくてしかたがなくって、「とりあえず」「やむをえず」打ち込みます。

じつは、自分の思想を表現しながらわずかなりともひと様のお役に立ち、かつ、ちょっとした家族を支える糧ともなるホームページを作成しようとして、その完成のあかつきにこのブログに連動させよう、それまではお休みだと願ってきたわけなのですが、できないのです。正確にいうと、ホームページビルダーをちゃんと入手していてマニュアルも読んでいるのですが、「作れない」のです。それは、ハードの面というよりは不惑を超えた自分にとってもっと辛らつなことを自ら突きつけることになるのですが、自らの“きちっとした座標軸”がないということではないかと、今の段階で気づいているということなのです。

ただ、それが“座標”と呼べるものになりうるかどうかいまだ定かではないのですが、曖昧模糊とした中で意識の水面に浮かび上がっているのが、“今、苦しみ、悲しんでいる人のため―弱者のため”ということです。

病のため、貧しさのため、争いのために、断末魔のうめき声をあげている人は日本中、世界中にどれだけいるでしょうか・・・。自分にはその苦しみ、悲しみを親身になってわかるほどの器がないかもしれませんが、ほんの少しでも、たった一人に対してでも、励みと癒しにつながるような言葉を投げかけることができたら・・・。もしかしたら、ある一定以上の階層の人たちから見たら弱者かもしれない人間が、そんな夢を描いているわけです。

それをどうホームページと結び付けていくか、しかも、仕事とも・・・。と欲張っているものですから、ますます・・・。見えてこないのですが。

“今、苦しみ、悲しんでいる人のため―弱者のため”ということを、今晩も喘息発作気味な5歳となった息子の寝顔に、薄明かりの中で神に祈りヒーリングしながら考えていて、浮かび上がってきたのが、「とにかく生きてください、生きてください・・・」というタイトルに結びつく言葉と内容でした。

生きていくことはつらいことが多いです。そんなことをあらためて僕に言わせる資格を失わせるほどに、大きな苦しみ悲しみに沈まされている人は大勢いらっしゃるでしょう。そうして、人間には、1人1人神様から生きる意味が与えられていると信じていますが、生きている間、その意味をまったくつかめないで死んでしまう人もいっぱいいるわけです。

でも、死ぬまで生きれば―すなわち、自分で死ぬというようなことをしなければ、必ず、その人の人生には、たとえ意識の上では結論を出せなかったにせよ、意味が付与されるものではないでしょうか。

簡単にいえば、どんなに自分のふがいなさを自分自身で感じてしまっているような人の一生であっても、少なくとも、死ぬまで生き抜けば、必ず神様からくだされた「生を与えられた意味」というものを知らず知らずに完遂できる。誰もが。ということを、ふと気づかされたような気がしたわけです。

そしてそのとき浮かび上がった言葉が、「とにかく生きてください、生きてください・・・」でした。

というわけで、書きたくなったのはここまでです。

また、海中で息苦しくなったら、空気を吸いに、水面にまであぷあぷ浮かび上がりにくるかもしれませんが、それはいつかはわかりません。それまで、ごきげんよう・・・。

                                      

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November 02, 2007

僕たちが間違えた道とは

やはり僕たちの国は 残念だけれど 何か
大切なところで 道を間違えたようですね

これはさだまさし「風に立つライオン」の一節。

この歌は、恋人と離れ、国際医療ボランティアとして、

アフリカのケニアに行った医師が、3年後、

彼女から手紙をもらう。「(他の男性と)結婚します」と。

医師は、彼女へ万感の想いを込めて返事を書く…。

さだまさしがその手紙を元に作った歌だそうだ。

三年の間 あちらこちらを廻り
その感動を 君と分けたいと思ったことが 沢山ありました

ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や

キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より 僕の患者さんの 瞳の美しさ

この偉大な自然の中で 病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね

やはり僕たちの国は 残念だけれど 何か
大切なところで 道を間違えたようですね

 「僕たちの国」、つまり僕たちが間違えた大切な道ってなんなんだろう?よくはわからないけれど、確かに道を間違えたということだけは、日々の自分を見つめればよくわかる。

テレビを見ていて、自己の身内の者を殺してしまうような残酷なニュースが流れている、それを見た直後に、チャネルを変えて、バラエティー番組に大笑いする。

よその国のたくさんの子どもたちが毎日、飢えて死んでゆく。日本人が残した分の食べ物をその子たちに与えればすべての命が助かる。そうしたことを情報として聞いていても、苦しくなるほどたらふく食べ、食べ残し、残飯を排出してしまう。

学校の「いじめ」の報道を見て憤慨する。でも、アメリカが兵器によってイラクや中東諸国を「いじめて」いる事実には仕方がないとあきらめている。その残虐な「いじめ」に協力している政府を黙認している。

・・・・

 ぼくは、ぼくたちは、「大切なところで、道を間違えた」。そして「道を間違えた」がゆえに失いかけた、いや失ってしまったものがあるのではないか。それは、言い尽くされてきたことかもしれないが、やはり“心”なのではないか。

  闇の中ではじける 彼等の祈りと 激しいリズム
南十字星 満天の星 そして天の川

診療所に集まる人々は 病気だけれど
少なくとも心は 僕より健康なのですよ

       (「風に立つライオン」より)

 ぼくは、どうしたら、心を取り戻すことができるのだろう。どうしたら、間違った道を正しい道へと軌道修正できるのだろう、そして、どうしたら子どもたちに一番大切なことを伝えられるのだろう・・・

                                          

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November 01, 2007

ホームページができません。

ちゃんとしたウエブサイトをつくり、そちらと連動する形でこちらのブログ「キビダンゴをあげる!」を続けよう。それまでは、お休み。ということで、今年3月くらいから、ずっと書き込んでこなかったのですが、肝心のホームページができないのです。作れないのです。お恥ずかしいながら。

自分が怠惰なのか、自分の考えがまとまっていないせいか、自己というものをちゃんと把握してないせいか、ホームページビルダーを使いこなすテクニックすらないせいか、見栄っ張りのせいか、メディアの台本を書いてきたという変なプライドがあるせいなのか、…。理由はそのどれもなのでしょうが、できないのです。                       

それで、我慢しきれずに、この2つ前の記事から書いているという次第です。人に読まれず読まれないにかかわらず、とくに落ち込んでいるとき、ブログに何かを書くと救われるようです。じつに、ありがたいアウトプットの場です。それに、書きたいこともたまってきています。

やせがまんできずに、ついにちょっと前から、こちらのココログとミクシーに、気が向いたら書き込んでいます。 

                                   

そんなことで、正式の再開ではないのですが、たまに書き込んではいます。正式の再開のあかつきには、おつきあいある方にはご連絡する予定であることは、以前より変わっていません。

今書き込んでいるのは、水槽の底で泳いでいて、窒息しそうになって、水面まで空気を吸いに出てきた金魚と同じ状態だと思ってください。

                                                          

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