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December 15, 2007

相対を脱して絶対に生きる基準

亡くなった父より

恥ずかしくない生き方をしろと

言われてきた。

今、自分が生まれたときの

父の年齢になって思う。

何に対して、

恥ずかしくない生き方をするのか

ということを。

それが、つまり、

「相対」に生きるか?

「絶対」に生きるかの分かれ目だと。

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Comments

モモしゃん・・・どうすべ・・・吾なぁ・・・
クロスケのナレーションで、よく遺族に投げかけてる文言があるねん
『今はただ、両の手をあわせることしか出来ないけれど・・・
この後は、あなた(故人)に恥じない生き方をする事が
何よりのご供養と信じて・・・』と・・・いつも遺族に投げかけておるんやが・・・
そっか・・・なんに対してか・・・
ん・・・吾も感がエルベ・・・

Posted by: 弥々 | December 17, 2007 at 10:12 PM

天に恥じず地に恐れなき人こそは神が愛でます赤子(せきし)なるらめ(岡田茂吉詠)

凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。 (佐藤一斎『言志録』より)

名・利―即ち名誉とか利益とかいうものは、ほんとうは相対的なもの、すなわち真に絶対的なたよりになるものではないにも拘らず、しかもそのことが真に解かるためには、われわれ人間は、まさに「死」に近いほどの苦悩を味わいつつ、これらを通過しなければならぬわけです。(森信三『不尽片言』より)

Posted by: モモタロウ | December 18, 2007 at 06:24 PM

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