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亡くなった父より
恥ずかしくない生き方をしろと
言われてきた。
今、自分が生まれたときの
父の年齢になって思う。
何に対して、
恥ずかしくない生き方をするのか
ということを。
それが、つまり、
「相対」に生きるか?
「絶対」に生きるかの分かれ目だと。
Posted by モモタロウ at 07:47 AM in 人生論 | Permalink Tweet
モモしゃん・・・どうすべ・・・吾なぁ・・・ クロスケのナレーションで、よく遺族に投げかけてる文言があるねん 『今はただ、両の手をあわせることしか出来ないけれど・・・ この後は、あなた(故人)に恥じない生き方をする事が 何よりのご供養と信じて・・・』と・・・いつも遺族に投げかけておるんやが・・・ そっか・・・なんに対してか・・・ ん・・・吾も感がエルベ・・・
Posted by: 弥々 | December 17, 2007 10:12 PM
天に恥じず地に恐れなき人こそは神が愛でます赤子(せきし)なるらめ(岡田茂吉詠)
凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。 (佐藤一斎『言志録』より)
名・利―即ち名誉とか利益とかいうものは、ほんとうは相対的なもの、すなわち真に絶対的なたよりになるものではないにも拘らず、しかもそのことが真に解かるためには、われわれ人間は、まさに「死」に近いほどの苦悩を味わいつつ、これらを通過しなければならぬわけです。(森信三『不尽片言』より)
Posted by: モモタロウ | December 18, 2007 06:24 PM
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モモしゃん・・・どうすべ・・・吾なぁ・・・
クロスケのナレーションで、よく遺族に投げかけてる文言があるねん
『今はただ、両の手をあわせることしか出来ないけれど・・・
この後は、あなた(故人)に恥じない生き方をする事が
何よりのご供養と信じて・・・』と・・・いつも遺族に投げかけておるんやが・・・
そっか・・・なんに対してか・・・
ん・・・吾も感がエルベ・・・
Posted by: 弥々 | December 17, 2007 10:12 PM
天に恥じず地に恐れなき人こそは神が愛でます赤子(せきし)なるらめ(岡田茂吉詠)
凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。 (佐藤一斎『言志録』より)
名・利―即ち名誉とか利益とかいうものは、ほんとうは相対的なもの、すなわち真に絶対的なたよりになるものではないにも拘らず、しかもそのことが真に解かるためには、われわれ人間は、まさに「死」に近いほどの苦悩を味わいつつ、これらを通過しなければならぬわけです。(森信三『不尽片言』より)
Posted by: モモタロウ | December 18, 2007 06:24 PM