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December 15, 2007

お恥ずかしいかぎり。

                                         

引きこもり、ニート、フリーター、・・・

他人事ではない。

子どもをもった四十代のニート?

                                     

いや、世間の常識で判断するのはやめよう。

                                       

常に神様にま向かっていられているか?

この二度とない一日一日を

悔いなく生きているか?←お恥ずかしいかぎりである。

                                      

                                                          

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Comments

家事をして、趣味を楽しんで・・・
私は女だから大して非難もされない。
それが男だと世間の目はきびしい。
変だよね、世間って。

私の友達、ニートや引きこもりだらけです(笑)

Posted by: mayu | December 15, 2007 at 07:55 PM

mayuさん

ぼくは、もともとフリーの立場ですから
なんのことはない
自然療法で病を治そうとして、かっこよく(?)
すべての仕事を断って以来、
仕事が極度に少なくなっている、
なくなっているということなのですが。

実は、困ったことに、
その間に心境が180度近く変わってしまったわけです。
できるだけ正しく生きたいし、信念に沿って仕事もしたいわけです。
悠長な事は言ってられないと言う声も
今、耳の後ろから聞こえていますが。
(とくに、家族が子どもがいますからね)

やはり自立することは大切だと思います。
(主婦や主夫の方も家事等をやってれば立派な自立でしょう)
自分は世間でいうニートや引きこもりと変わりないんじゃないか
と自戒の意味でいつも問いかけています。


ただ何でも働けばいいというものではない。
私は職業に貴賎があると思います。
不正な事して稼ぐのは、働かないよりいけないことだと思います。
(ニートや引きこもりの人も似たようなことを思っている人がいるかもしれない)

古人は、社会に道がなければ、そこから離れて、
一人、正しい道を歩んでいたわけです。
そのほかに、
(空しいことかもしれませんが)
道のない社会に道をつくるために、
あえて泥沼の中に入るという道もあります。

ぼくはその両方でありたいと思っています。
今は時期が来ていないのですが、
時期が来たらそうなるでしょう。

昔の日本人のように、
社会に出たり引っ込んだりしている
人間がいてもいいでしょう。
勝海舟の「行蔵は我に存す」です。
(※社会に出るも、社会から身をかくすも自分の自由)

長くなってしまいました。
この記事、自分の傷口の絆創膏を
あえてはがして見せたようなものですが、
やはり、とってもヒリヒリしてるので、
このコメントで、
軟膏ぬったり、絆創膏を二重にしたり、
痛みをごまかすために“取り繕った”ような
心境にも少しなっています。
(つまり言い訳ということですか?)

お見苦しいところをおみせして失礼致しました。

Posted by: モモタロウ | December 15, 2007 at 11:42 PM

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