大空の恋
夕暮れ時に
赤く染まるのは
空が恥ずかしがっているから。
きっと誰かに
恋をしているに違いない。
その相手は、
地球?
いや、君かもしれないよ。
古い団地の水道管を
ちょろちょろと
水が流れる音が聞こえる。
目隠しをして
誰かに、小川の音だと
伝えたら、
信じてくれるかもしれない。
水道管を流れるのも
小川を流れるのも
水は水。
神様は水に
音をつけてくれたのだから。
「神願成就」。
「心願成就」ではなくて。
昨年、ある方から教えて頂いた。
自分の願いではなくて、
「神の願い」を自分の願いとして
念じて生きていくことだ。
ならば
人間がまず念ずべき
神の願いとはなんだろう。
(誤解を恐れずにあえて書くと)
一人一人が
「神になる」ことではないか。
「みろくの世」‐「理想世界」とは
一人一人が神となった世、
神に近づいた、
神のような人たちが、
集まっている世界であろう。
少なくとも、
「神」を敬い、
「神」を目指して
一人一人が向上している世界であろう。
他の人たちが「神になる」には、
まず自分がならなければならない。
自分を変えることもできないのに
他人を変えられる筈はない。
自分が変われば周囲もきっと変わる。
それに自分が神の心境に
今よりも近づけば
周囲の人たちが神のように
見えてくるかもしれない。
そもそも誰もが神であるのかも
しれないのだ。
ただ、自分が達していないために
それに気づいていないという
だけなのかもしれない。
だから、誰よりも先に、
自分が「神になる」、
「神に近づく」と念じて
生きねばならない。
儒教であれば「聖人君子になる」。
仏教であれば「仏になる」。
「神と一体となる」と表現することもあろう。
人間は幾度も幾度も
生まれ変わりながら
少しずつ神に近づいているという。
その意味でも、
「神になる」という願いは、
魂を有する人間という存在にとって
本質的なことだ。
自分だって、今の自分を
客観視すれば、自分に対して
何を言ってるんだといやになる。
でも・・・、
いまはどんなにそこから
遠く離れた不甲斐ない自分でも、
何度も何度も生まれ変われば
いつかは、
そこへ到達できるのではないか。
それを信じて、
今生に、ほんのわずかでも
そこへ近づけるよう
「神の願い」を
念じて生きていくのだ。
言葉は、「聖人君子になる」、
「仏になる」、「覚者となる」、
・・・、なんでもいいのだ。
聖人君子、覚者、仏、・・・
とイコールというわけではなくても、
神に近づく、
最高のものを目指すという点では
同じに違いない。
自分の性格的な欠点を治す、
毎日、どこかの掃除をして心を磨くなど
具体的な目標も大事である。
要は「神になる」という
来世、来来世、来来来世・・・へと貫く
大きな“志”を念願した上で、
長所を伸ばしたり、
性格的な欠点を直したり、
仕事に取り組んだり、・・・と
たとえ、ささやかなことでも
自分が今できる
具体的な行動をとっていくのだ。
「念ずれば花開く。
行ずれば実を結ぶ。」
これも、冒頭に紹介したある方を通して
教えていただいた言葉だ。
おこがましくて、
ちょっと気が引けるが、
今年は、まずは、
「かみになる」
この五文字を念じることから
努力してみよう。
たまたまつけたNHKで
さだまさしの「風に立つライオン」を聞いて、
励まされた。
「神様、感謝します」
心よりつぶやいてしまった。
年末から、気分はうつぎみ、
そのせいか、正月は体調を崩していた。
自分は、まだ海外に一度も行ったことはない。
ナイロビにも、
キリマンジャロにも、
もしかしたら終生行くことはない
かもしれないけれど、
“風に向って立つライオン”でありたい。
それには変わりはない。
(以下、「風に立つライオン」より)
あなたや日本を 捨てた訳ではなく
僕は「現在」を生きることに 思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する 滝のように
僕はよどみない生命を 生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は 風に向かって立つライオンで ありたい
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