いのちの突端
一燈を提げて暗夜を行く
暗夜を憂うるなかれ
ただ一燈を頼め
『言志録』
自分の一燈とはなんだろう。
志といいきれる程の強さはない。
職もない。頼めるほどの技もない。
家族は大切だが一燈ではない。
物心ついたころから、40年間以上、
治ったと自覚したことが一度も
なかった喘息という持病こそが
今までもこれからも自分の一燈ではないか
という考えがふと心をよぎった。
いや、喘息というよりも
喘息すらもコントロールできずに
40年間以上も生きてきた
私の中にあって今まで
弱さと見てきた部分こそが
唯一、一燈でありうる可能性を秘めた
ものなのかもしれない。
森信三先生は、人生後半はご恩返しと
奉仕に生きなさいという。
残りの人生、今まで自分の弱さと
みてきた自分の中身を、
恩人を抱きかかえるように、
大切に、真綿にくるむように
尽くして生きていくのもいいのではないか。
なぜならば、その部分こそが
誰もとつながる大いなるいのちの
突端であるに相違ないから。
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