弱さの自覚から始まったシラー
(※ドイツ文学でゲーテと並び称される偉大な作家シラーは)
最も高い意味で人間の自主性のために戦った偉大な詩人であった。その仕事は、人間というものが本来貧しくてよわいものであるからこそ、また彼自身の才能もゲーテにくらべては恵まれないからこそ、偉大なのである。天与の才能、疑いのない偉大さに甘えたのではない。ゲーテが言った、シラーの全作品をつらぬいている自由の理念とは、なによりも、そういうよわい人間が真と善と美へ到達しようと努力する自由なのであった。
『増補 ドイツ文学案内』岩波文庫別冊より
あのベートーヴェンの第9歓喜の歌の作詩者であり、
世界の文学界において凡人よりみれば、
充分に偉大すぎる存在であるシラーも、
間近に屹立するゲーテという世界的な高峰をあおぎみて、
自分の才能や不遇、体の弱さに嘆いたこともあったであろう。
しかし、
そこが最も凡人とは異なるところであるかもしれないが、
いたずらに嘆いて時間を無駄につかうのではなく、
みずからの居所をひるまずに見つめた上で、
くさらず驕らず死ぬまで、
あたうる限りもっとも高き頂きを目指していたことに
後世にまで届く彼の輝きあるのだ。
ゲーテは“あこがれ”であるが吾々からは遠すぎる存在であり、真似をしようにものっけから届かないと
諦めてしまいがちな存在だ。ところが、
ほんとうはシラーにもとても届くものではないにしても、
自分も彼のように生きれるのではないといった錯覚かもしれないが、
励ましを与えられるような強い何かをもっている。
シラーが晩年、病状悪化する中、
コーヒーに力を借りて鬼気迫る姿で、
作品と格闘したというくだりを読んでからは、
コーヒーを何倍でものむことをいとわずに
徹夜で仕事に取り組んだものだ。
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