« 太陽は声をかけている | Main | 空想ということ »

April 22, 2008

嘆き

おれは何を恐れてきたというのか。

このおれが狂気だと認めることだ。

いまだに

おれは狂気だ、きちがいだ

と叫ぶことにふるえおののいている。

世間がありのままを

受け入れられるのは、

自分が狂気でなかったときだけだ

と感じている。

なにより狂気を認めることで

狂気がからだの中で

あばれはじめることが

こわくてしかたがない。

だから、机の下でひざをかかえて

縮こまっている。

|

« 太陽は声をかけている | Main | 空想ということ »

Comments

この感覚は・・・なんとなく一緒かも・・・
ただ吾はぁ・・・モモさんより堪え性がないから
縮こまってることも出来ずに
狂気を、べつの形に変えて、発散してしまっているようだ・・・
吾はぁ・・・なんと愚かな事か・・・
モモさん、永らくの沈黙を、解きましたのう^^

Posted by: 弥々 | April 22, 2008 03:14 PM

自分のことをそのまま書いているとは限らないのですが、
この記事では、
狂気を発散できない自分を嘆いているわけですから、
狂気を発散できる弥々さんに、ジェラシーを感じるということになる。
なんと、愚かなと弥々さんが自分のことを表現していることばが、
ほんとうに自分のことを愚かなと思っているのかと
感じてしまいます。
そして、それをほんとうに愚かだと思っているとしても、
私は机の下に閉じこもっている自分をますますみじめだと
思わざるをえない。
←こういうことを、書くのがいやだから、実をいうと、自分は
自分の正直な気持を出すのが、苦手でつらいから、
コメントへの返答がしずらいし、人のブログへのコメントを書くのも
非常に気とエネルギーを使うのです。
だから、なかなか書けない事が多い。
←人にもそのコメントの内容にもよりますが、

とにかく非常に、虫がいいことですが、
コメントはうれしいのですが、そんな具合に、
自分の正直な気持を、記事によってなんとかようやく
出せているような弱虫なのです。実は・・・

だから、コメントへの返事も、ブログを訪ねての
コメントを書くこともなかなかできないかもしれませんが、
何卒、よろしくお願いします。
もし言葉を発するならば、もちろん、相手の立場を
できるだけ想像してですが、正直な気持を
語るのが、弥々さんに対しては、礼儀だとおもっています。

お互い、語りと書き手、それぞれのプロでもあるわけですから。

Posted by: 百太郎 | April 23, 2008 12:01 PM

狂気を、べつの形に変えて、発散してしまっているようだ・・・

狂気をほんとうに発散できているというなら、それでいいのですが、
今の時代でもいつの時代でも、人間はほんとうに狂気を発散することが許されているのでしょうか。発散できるのでしょうか。発散できないから狂気なのかもしれません。
たとえば、芸術などで発散する、それは発散できているのではなくて、発散したつもりになっているのではないですか。狂気は発散したつもりでいても、狂気は狂気のままだと思います。それを受け入れるかどうかしか人間にできることはないのではないでしょうか。

Posted by: 百太郎 | April 23, 2008 08:17 PM

The comments to this entry are closed.

« 太陽は声をかけている | Main | 空想ということ »