侵されざる母親像
43才という
この年になって
ようやく分かったことがある。
自分は、甘やかされて育ってきたから
喘息になったのかもしれないと、
これまでは思ってきたのだが、
そうではなく、母親に
甘えられなかったのだ。
母親から充分な
愛を受けてこなかったのだ。
そのままの自分を
受け入れてもらえず、
去勢されてしまった。
それで、真面目ないい子に
なってしまった。
今、こんな堅物な大人に
なってしまったのも
その影響が大きい。
一方で、内面は、母親やその他の人間、
そして自分に、にくしみや
攻撃性を蔵している。
だから、人付き合いが苦手になる。
相手への敵意を懸命に
隠さなくてはいけないから。
まさか、このような心理学で
いわれる型通りの定理が
自分にあてはまっているなんて、
今までそうしたことを
本を読んだり
人から聞いたり、
ブログなどで
できるだけ正直な気持を
書こうとしてきたが、
まったく
気がつかなかった。
母親はもう
亡くなっているのだが、
これまでは
神聖視をしすぎていた。
母親を愛の深い寛大な
人間だと思ってきた。
まったくその反対の視点から
みると、自分のことや
過去のこと、似たような
他の人間のこと、
自分の子供のこと、
女房と自分との関係など
見えてきたような
気がする。
今までは、
自分の母親へメスを入れて、
解剖するのが
恐ろしくてできなかったのだ。
自分にとって、母という
聖域に足を踏み入れることは
許されることではなかった。
まだまだ
ハードルはあるのだろうが、
この段階まで来られて
少しほっとしている。
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Comments
気づかれたということで
とても大変な状況になっていらっしゃる
モモタロウパパの表現力、
表現することの力強さを感じました。
すごいな、と。
Posted by: スタッフO | June 18, 2008 06:36 PM
スタッフOさん
こちらまでもありがとうございます。
「すごい」と書いてくださると
素直にうれしいです。
ただ、台本や企画書を
書いてきたりと自分の経歴と
技はそれくらいしかないのですが、
少し「気づいて」からというもの、
もっと掘り下げていけば、
自分=物書きという思い込みも
根本から覆ってしまうのではないか、
「これでいいのか?」といった
疑念にかられます。
まあ、今後の自分の変化と変化
しないところがどうなるかを楽しみに、
しっかり問題を受け止めていきたいと
思います。
Posted by: 百太郎 | June 19, 2008 04:13 PM