「体」のあとは「心」
今、自分の心の問題に焦点を
あてられているというのは、
一つは、体の方が落着いている
からであろう。
先月血液検査とレントゲンのみであるが、
健診を受けて、
喘息の原因となっているアレルギー反応を
のぞいては、すべてが見事なまでに
「正常値」であった。
これも、難病等による
体調不良のために
仕事を完全休業して、
およそ7年半。
自画自賛ではあるが、
自分の努力の賜物と
家族の多大な協力のおかげであろう。
神様と周囲の人たちに
心より感謝したい。
ようするに、
心の問題というハードルを
与えられたということは、
いよいよ「仕上げ」の段階に
入ったのだととらえている。
仕事を休んでから、
一つの計画があった。
それは、自分が体をこわしたのを
逆手にとって、
健康・医療問題を専門しようと
考えたことだ。
「なんでもや」では、
この先、物書きとして通用しないと
切実になっていたのだ。
ところが、
物書きとは
それが、物語であれ、
人物評伝のようなものであれ、
人間(とくに心)を描くべきだ
という思想を私はもっている。
自分としては、
健康・医療問題というテーマでは
ちっとも結びつかない
という矛盾が生じてきてしまった。
結びつくといっても
自分に関心があり、
「そそられる」テーマでなくては
しょうがないわけで、
そういった切り口には
到達しえなかった。
今、体の病の背景にあると
思われる「心」について、
「完全治癒の道」を目指して
取り組んでいこうということは、
まさに、自分がいうところの
「人間(心・魂)」へとダイレクトに
飛び込むということである
ようやく2つの線が
結びつくところまでに、
きたということでもあるわけである。
こころの問題が解決できれば
きっと自分を取り巻く
環境は変るであろうし、
新しくて
面白い何者かが「書ける」のではないか
というワクワクした気持で
今は日々を過ごしている。
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