宮崎勤の死刑に想う
宮崎勤の死刑が執行された。
宮崎勤について今まで
自分が感じたこと、
考えたことを、
たとえ拙いものであっても
自分を見つめるという意味でも
この時点で
書いておいたほうが
いいであろう。
今後、マスコミでほとんど
取り扱われることが
なくなるであろうが、
それとともに、自分の
記憶のかなたへと押しやられていく
ことは想像するに
難くないから。
事件から数年後、
ある番組のロケのとき、
彼がおそらく生まれてから
ずっと住んでいたであろう
五日市の家を見る機会を得た。
印象は、
「これほど豊かな自然にかこまれて
育っている中で、どうしてあんな
残酷な事件を起こす
人間になったのだろう」
その頃すでに日本人には、
「自然が人間の心を癒す」
「正常にする」という見方が
広まっていたのだろう。
その影響を自分は受けていた。
たしかに、今でも
「自然の力」というものは
自分の心と身体を通して、
受けとめている。
1988年頃の事件当時、
宮崎は「今田勇子」という女性に
なって、犯行声明文をマスコミに
送った。
それを読んで私は、
別に自分に文才が
あるなしに関係なく、
直観で
「男性が女性になりかわって書いたものだろう」
と見抜いた。
まだ、各マスコミが
「今田勇子とは、子どもが持てなくて、
子どもを持つ親や社会を憎んでいる女性
ではないか」などと報道している渦中に
である。
その後、宮崎が捕らえられている姿を
テレビのニュースで見て、私は
「やっぱりなあ」と思うと同時に、
見事なまでに当たってしまったことに
薄ら寒ささえ感じたものだ。
今は、なぜ当たったのかという
ことを正直、少しおびえながら
勇気を出してこう語る。
「自分は内面に宮崎と同じようなものを
もっているのだ」と。
ワイドショーだったと思うが、
宮崎のことを大島渚監督が
「彼はこんな犯罪を実行する前に、
芸術家になっていればよかったのだ。
きっと芸術家として成功したであろう」
というようなことを言っていた。
別に、私がその部分で彼と
「同じようなものを
もっている」といいたいわけではない。
そうではなく、育った家庭環境は
異なるとはいえ、
それぞれの家庭より受けた抑圧、
去勢、ときにはいじめに近いもの
(自分がそれと
同じような心の痛み・苦しみを
受けたという意味でも)
・・・が、似通っていた部分が
あったせいではないかと思うのだ。
何かで聞いたが、
宮崎がうちに帰ると
父と母、彼以外の兄弟の
食事が用意されていて、
彼の食事はないということが
日常茶飯事だったようだ。
そんな中で、優しくしてくれたのが
唯一、彼のおじいさんだったという。
そのおじいさんが亡くなり、
その後、彼は犯罪へと向かっていく。
私はそのようなあからさまな
虐待を受けたわけではないのだが、
親や周囲の大人たちより、
彼らの意に染まるように
育てられた。そこから、
はずれると捨てられるような
恐怖におびえながら、
幼児期、少年期を過ごしてきた。
現に心理的に捨てられ、
切り離されたこともあったであろう
ことを今は、想像できる。
宮崎勤は確かに
人間を癒す力のある
「自然」にかこまれる環境の中で
育ったけれど、
この「冷たい家族」によって、
「自然」との間に
バリアを造られてしまっていたのであろう。
子どもも大人も
心理的に安定していなければ、
どんなに近くにそれがあっても
自然に心よりふれられるものではない。
人間が心を開放してこそ、
自然もその心に入ってこられる。
閉ざしていたのでは、
自然の中に暮していても、
まったく自然のない、
鉄筋の群れに
住んでいるのといっしょである。
今、私にも被害者となった
子どもと同じ年頃の
娘がいる。
親の気持を想うと、
死刑はもちろん
自分の手で殺しても、
殺しきれない、
幾ら憎んでも
たりない心境であろう
ことは充分に想像できる。
一方でまだ幼いが
息子もいる。
この息子は、
なんとしても、
宮崎のような人間にしてはいけない、
自分のような苦しみを
味あわせたくないとも思う。
今日の朝日新聞夕刊には
「社会が受けた衝撃の大きさとは
裏腹に、本人(宮崎勤)は公判でも
最後までひとごとのようだった」
とある。
「ひとごと」とは
「自分と向き合えない」
ということである。
なぜ彼が「自分と向き合え」
なくなったのかといえば、
それだけ彼にとって、
まったく自分というものを
受け入れられないような
過酷な幼少期を生きてきた
ということである。
そして、唯一、彼のことを
受け入れられていたはずの
祖父が死んでしまった…。
おそらく彼は自己の現実を
見つめず、
「ひとごと」ととらえる
ことでしか、
彼にとって地獄の
世の中を生きのびることは
できなかった。
今の法律・制度は
死刑があるのだし、
また、被害者となった
子どもたちの
親御さんの気持ちを
慮れば、
「死刑」もやむをえなかったと
私は考える。
ただ、死刑囚・宮崎勤を
作り上げたような家族を
生んだ「社会」が、
ぜひ、今、書いたような視点
というものを忘れないでほしい、
かつて「今田勇子」の文章が
心の琴線にふれてしまった
私は「ひとごと」ではなく
そう願うのである。
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