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June 26, 2008

自由になったフリ

大学の授業を

抜け出すのが、

すごく快感だった。

一般教養では、

キャンパス内の

丘の上の

礼拝堂で宗教の講義が

おこなわれた。

配られた出席カードに

名まえを記入して

すぐに、

他人目につかないよう

中腰になって、

木造のドアを

ほんの少しだけ

開いてぬけていく。

無事に抜け出られて、

丘の階段を

だらだらと

おりていくときの

あの開放感。

その快感を味わうために

抜け出していたの

かもしれないと

振り返れるくらいだ。

ところが、

楽しいのは

それくらいで、

抜け出した後は

長い長い空白の

時間が待っている。

いや、やるべきことは

あったのだ。

読書をするとか、

物を書くとか…。

しかし、それは

義務に近かった。

今、思い出しても

楽しいというのは

授業を抜け出した

瞬間だけで、

その後の記憶については、

重苦しくて

息苦しい空気に

支配されている。

そうあのときの

おれは義務を抜け出し、

別の義務を

遂行しようとしていた。

授業からは

抜け出せても、

結局は、

自分を縛る

ある

“支配”からは

まったく

抜け出せていなかった。

自由になったフリを

自分が自分に

見せていただけだったんだ。

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