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July 28, 2008

したくないからしない

自分の中の偽善に気づいてから

というもの、

他人の偽善も気になる。

世の中、

「したくなければしなければ

いいじゃねえか!」

と言いたくなることばかりだが、

自分だって、

したくないのに、

ついついしてしまう、

ことわりたいのに

ことわれないという事が

たくさんあるのだから、

他人のことばかりを責められない。

自分もふくめて

したくないのにする

者の“言い訳”は、

「それをしなくては困るだろう」

ということだが、

ほんとうに「しないと困る」のだろうか。

会社に行きたくないから行かない、

仕事をしたくないからしない、

学校に行きたくないから行かない、

家事をしたくないからしない、

・・・

たしかに、そのときに周囲に

短期的に困る人が出てくるかもしれないが、

おそらくそれをしなくても

社会や会社、学校、家庭は

回転していく。

ただ、「やりたくないから」といって

「やらなかった」

人間は、その場から排除されるかもしれない。

会社を首になったり、

仕事がもう来なかったり、

学校をやめさせられたり、

離婚したり・・・。

それでも、

自分が困ったと思わなければ

困っていないわけで、

「それをやらなくては困る」

と言い切れるものでもないだろう。

ここに書いているような事は、

夢想にすぎないのだが、

世間の人々がすべて

「したくないからしない」と

なったら、

地獄のような社会になるのか、

それとも天国になるのか、

そのどちらでもなく

今までのような現実がだらだらと続いていくのか、

・・・

ぼくはどちらかというと、

今よりはいい方向へと

いくのではないか、

と“夢想”している。

だって、

「したくないけどしている」

人でいっぱいの

世の中がこの“ザマ”だぜ

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