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July 14, 2008

自分にYESと言えない人は…

自分にNOといっている人の

一番の悲劇は、

他人の餌食になってしまうことだ。

今年、自殺した元TBSの

アナウンサーもそうだろう。

語弊があるかもしれないが、

怪死した尾崎豊もそうだったと

一ファンの意見に過ぎないけれど

ぼく本人は確信をしている。

他人の餌食にならなくても

自傷行為に走ったり、

過食症になったり、

ならなくていい病に

なったり、

つまり、自分に対して

“餌食”という言葉はおかしいかも

しれないが、

自分を餌食にするといっても

おかしくない状態へと

自分自身で

知らず知らずおいこまれてしまう。

そういった具体的な

結果を考えなくても

どうして自分にNOという

つまり自分に対して

無力感をもつことがいけないのか

という理屈は、

簡単である。

自分の身の回りのもの

すべてのものを

見て聞いて触って味わって匂いを嗅いで、

その上で認識しているのは

自分だからである。

自分にYESといえてない人は、

心の中に、

曇った目をもっているのと

同じである。

自分に対する無力感という

曇ったフィルターを通してしか、

あらゆる人や物、すべての

事象を見ることはできないのであるから、

ときには、

ひどい人間がよく見えたり、

心あたたかな人間が逆に悪く見えたり、

駄目でもなんでもない

自分というものが駄目で

どうしようもない人間に

思えたりする。

だからといって、

自分に対して強引に

YESといおうといったって、

無理なことであろう。

よく「自分はできる、できる…」

など肯定的な言葉を

繰り返しいうといいといって、

自分もやったことはあるが、

それも多少の効果はあるだろうが、

劇的な効果はない。

なぜなら、

それだけでは

曇ったフィルターを

きれいに磨ききるのは

大変だろうから。

それよりも

まずは、「認める」ことである。

静かに自分を見つめた上で

「心の中に自分を

だめだと思っている

自分がいる」

ということを認めるのだ。

「自分が嫌いである」

ということを

認識することである。

加藤諦三氏は、

今日のラジオ人生相談

の冒頭で述べられていた。

「あなたが

認めたくないものは

なんですか。

どんなにつらくても

それを認めれば

道は開けます」

ぼくも自分の認めたくない

あることを認めて以来、

いろいろなことが見えてきた。

視界が開けた、

ということは

道も開かれ

はじめたということでもあろう。

このような記事を書けるのも

それがあったからだ。

まだまだ、認めたくないもので

認められてないものが

あるかもしれないが、

自分の経験から、

「認めたくないものを

認める」ということの

重要さについて

自信をもっている。

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