はじめに欠点はさらすべき?
初対面の男性に
欠点を見せる女性
女性の中には
初対面の男性の前で、
あえて、
自分の欠点をさらす人が
いる。
それは、おそらく
2つのパターンがある。
1つは、
その男性に気があって
あとで欠点を見つけられて、
ふられるよりも、
先に見せることで、
その欠点があるにも
かかわらず、
自分を受け入れてくれるのか
どうかを確かめたい。
あとあとになって、
自分の欠点が見つかって、
嫌になられるという
リスクはさけたい。
という場合。
もう1つは、
その初対面の男性が
自分のタイプではなく、
にもかかわらず、
相手の人は自分に
どうやら気がある
ようである。
その場合、
早々に自分が自分の
最大の欠点であると
常々気にしている
部分を相手に見せて、
その男から離れようとする。
でも、結局、
その男は、その女性の
欠点を聞かされて、
まったく、欠点だと思わず、
むしろ、その女性が自分で
欠点だといっている
部分をもっているがゆえに、
かわいいと思えてしまい、
ますます追いかけてしまう
ということもある。
「あるがままの自分」とは
「自然体の自分」
ぼくも、
相手の性別は問わず、
最初に、
あえて自分の欠点をさらす
という傾向もある。
そうでなければ
初対面の相手に対しては、
反対に、
かたまってしまって、
まともに自然な会話が
できないという
ことが多いように思う。
はじめに自分の欠点を
執拗なまでに言うことの根底には
相手に自分の欠点を
ふくめた
「あるがままの自分」を
認めてもらいたいという
考えがあるのだろう。
ところが、
あえて
欠点をいう、
欠点をさらすという
こと自体が、
すでに「あるがまま」で
なくなっていることに
気づいていない。
ほんとうの
「あるがままの自分」とは
“自然体”ではないのか。
人前で自然にふるまって、
出てくるのが、
その人の
欠点であり、長所であろう。
さらしている欠点とは、
「自分が欠点だと思っていること」
にすぎない。
また、過去に誰からか、
「おまえの欠点だと指摘されたこと」
であろう。
今、目の前にいる相手は、
それを欠点とは思わないかもしれない。
別のことを欠点だと
思うかもしれない。
だから、あえて
自分からひけらかすというのは、
その欠点に自分がとらわれている
場合、最初にいえば
気が楽になるということでは、
意味があるのだろうが、
それ以外では意味のないことかもしれない。
言葉をかえれば、
自分が狙っているような
「あるがままの自分」を
受け入れてもらう、
「あるがままの自分」を見せる、
といった効果はあまり望めない。
気になる相手の前でも、
“自然体”でいて、
欠点が出たら出たでいいや、
もしくは、
欠点が出ようが長所が
出ようが、
“自然体でいる”
ということが、
「あるがままの自分でいる」
ということだろう。
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