人前でキョロキョロしている自分
人生の修羅場から
逃げている人間、
すなわち、
一つ一つのことに対して
責任をとっていない者は
人前で落着かず
人の目を気にして、
キョロキョロしている
という。
自分もよく
キョロキョロしている、
挙動不審であると
いわれたことがあった。
放送作家として
活動し始めていた頃、
あるパーティーの席上、
ホームビデオに気づかないうちに
撮られていたことがあったが、
ビデオに映されている
何か悪い事をやった人間のような
落着かない自分の動きを見て、
思わず目をそらしてしまった。
たしかに、衆人の中で
そわそわと落着かない
自分を強く感じていた。
心を平静に保とうと思っても
心のどこかで
どうしても動揺してしまう。
その頃だけではない、
今でもまだある。
ビデオに挙動不審な
自分が移され、他人からも
キョロキョロしてると
指摘された時期、
自分は社会的にそんなに
間違った
ことをしていたとは思えない。
それでは、何から逃げようとして
いたのだろう。
何に対して
責任をとっていなかったのだろう。
やはり自分だったのではないか。
自分のほんとうの気持から逃げ、
自分を裏切っている。
そういう人生を選んでしまって
いるにもかかわらず、
自分に対して責任を取れていない。
もしかして放送作家という
仕事を心底愛していたわけでなく、
他人へのその響きのよさを感じて、
ただ自分は“放送作家”だぞと
人に見せようとしていたのではないか。
もしかして、自分にとって
アクセサリーと化していたのではないか。
仕事は面白かったし、
好きな局面もたくさんあったが、
ほんとうの放送作家に
なりきれてなかった。
にもかかわらず、
人に見せようとしていた。
でも、自分ではちゃんとわかっている。
ほんとうの
放送作家ではないということを。
それを見つめることから自分が
“逃げている”ということを。
このことは
大した実績を上げられなかったことが
証明している…。
―
今書いたことは、
自分にとってまだ確信を持てていない
仮説の段階である。
少し自虐的な見方かもしれない。
ただ、今後は、
別に他人の目をひくような
肩書きや地位なんていらないから、
もっと人まえで堂々とできる、
いやもう、どんなところでも、
ただ普通に振舞え、
決してキョロキョロと落着かないことが
ないような
人生を歩みたいものだ。
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