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July 13, 2008

自由にできるはずなのに…

自由になんでもできるはずなのに

これしかできない。

いや、これすらもできない。

いったいなんなんだ?

どうしてできないんだ・・・

かつて、

他人(ひと)に見られるための

仕事はやめようと思った。

自分の良心や湧き上がる

情熱を動機に

仕事をしよう。

ところが、実行してみて

愕然とした。

できないのである。

他人に見せる、という

動機をのぞいてしまったら、

仕事をするエネルギーが

わいてこない。

他人に命令される、

他人に評価される、

他人にほめられる、

他人よりもよい仕事をする、

それ以外に、自分には

仕事の動機となる

エネルギーは湧いてこない

ことを知った…。

そのとき、すでに

“燃え尽きる”一歩手前にいたのだ。

祖父と母が亡くなる原因となった

奇病(難病)と同じ病にかかり、

母や祖父と同じようには

死にたくないという

気持はたしかにある。

強く恐れている。

しかし、

今、自分が仕事をろくに

できないのは、

それを隠れ蓑に

もっと自分で見つめたくない

本心を隠しているのではないかと

疑ってみることもある…。

その本心とは…

正直、もう自分はつらい思いを

したくないのではないか。

肉体の痛み以上に、

心が、魂が、苦しみをもう

もちたくないのではないか。

一方で

こんな声が耳元で

ささやいてくる。

仕事はもちろん、

生きていくことは、誰もが

苦しいことだよ。

その対価として、

お金をもらって、

みんな生活をしていくのでは

ないか…

甘えるな。

という声。

かといって、

また、何かの仕事に入って、

誰かにけつを叩かれ、

ムチを打たれて、

使役されるのでなければ

動けないというのは

もういやだ。

身体にもよくないだろうが、

何より心がいやだいやだと

悲鳴をあげてるようにも

感じられる…。

それなのに…。

時間があり、

自由があるというときにでも、

積極的な意欲というものが

湧いてこない。

雇い主に見せる、

仕事の取引先に見せる、

上司に見せる、

家族に見せる、

世間一般に見せる、

ということでなければ、

やはり、

やる気が起こらない

自分がいる。

真の自分の魂は、

灰となり、

ほんとうに

燃え尽きてしまったのだろうか。

今日もまた、

部屋の中で、

何をやればいいのか

自分というものは

どこにあるのか

戸惑いながら、

ただ時を過ごしているだけの

自分がいる…

そばに誰もいなくても、

誰かの目を意識しつつ

日々を暮している

自分がいる…

                                         

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